当事者不在が前提の差別発言 徳島自衛隊での出来事から

水平時評 府連書記長 赤井隆史

事件発覚から11年が経過するが、2003年3月に徳島海上自衛隊自衛官内で起こった出来事について報告したい。徳島の被差別部落出身であるHさんは、徳島海上自衛隊の自衛官として勤務。自衛隊内では、当然のことのように自ら進んで被差別部落出身であることを職場で名乗ることもなく、また、その必要性もないということから、日々自衛官としての任務を遂行していた。

そうした中で、2003年3月に職場の歓送迎会がひらかれ、2次会でのカラオケボックスで次のようなやりとりが行われた。
たまたま座った席の関係でHさんは、曲を入力する担当となり、廻されてきたメモに従い、曲番号を入力していた。その時、Hさんが入力番号を押し間違え、流れた曲名が、ちあきなおみの「四つのお願い」という曲であり、当然、間違ってかかった曲などで誰も歌うものがなく、Hさんは、「すいません。押し間違ったみたいです」「やり直します」とその場で説明し、すぐに次の曲がかかるというどこにでもあるごく自然なやりとりが行われた。

そこにT氏があらわれ、Hさんにすり寄るように隣の席に来て、「いま、『四つのお願い』をリクエストした奴は誰や」とHさんに聞いてきた。Hさんは、「いやいや番号を押し間違えただけで、誰のリクエストでもないよ」と答えた。その時T氏は、「そうやろなぁ。カラオケで『四つのお願い』なんか歌う奴は部落の人間しかおれへんからなあ」と発言。それを聞いていたHさんは、一瞬、血が逆流するのを感じたようだが、気を取り直し、お酒の席でもあるということから、「先輩、そんなこといったらダメですよ」とたしなめ、その場を納めたと報告している。

後日、職場で顔を合わせたふたりだが、T氏の方から、再度、「やっぱりあのカラオケの席には部落の人間が居たのではないか?」と発言、続けて部落というのは、「お金がないから服が汚い」「身分が低い」「常識がない」「嘘をつく」などと差別発言を繰り返している。3度目のT氏の発言に我慢も限界を迎えたHさんが、「貴方がひどいという被差別部落の出身者は、この僕です」と発言。あっけにとられたT氏は、無言のまま立ち去ったという。

結果的には、名誉毀損を争う裁判となり、一定の慰謝料をT氏がHさんに支払うということで和解した事件である。
カラオケの場面から一貫して、T氏はHさんが“被差別部落出身者”であるという認識がまったくない。つまり、被差別部落出身者という当事者が不在であることを前提とした部落差別発言をT氏は執拗に繰り返し行っていたことになる。

部落差別発言が飛び交う会話に突然自分が入り込み、「実は自分は部落出身者である。何でそんな発言をするのか」と指摘することにどれだけの勇気がいることだろうか。部落解放運動に参加している多くの人の中にも血が逆流し、「指摘するべきか、ここは黙っておく方がいいのではないか」との葛藤を経験した人は数多く存在する。つまり、部落差別発言の多くは、部落出身者がそこにいないことを前提として成り立っており、そのことを指摘する人がいれば、「正義感ぶりやがって」と、その場の空気をかえてしまう嫌な奴とのレッテルが貼られるケースも多いのではないか。ましてや、そこで「自分が部落の出身である」と言えば二度と友達として会話が成り立たない関係になるではないか、と危惧する被差別部落出身者がいて当然でもある。

Hさんのケースは、懇親会の席上、「カラオケで四つのお願いを歌う奴は部落の人間だ」との1回目のT氏の差別発言の後、「お金がないから服が汚い」「部落の子どもは親がお金をやらないからスーパーで万引きする」「嘘をつく」「常識がない」などの2回目の差別発言を受け、これ以上の侮辱的な発言は許されないとの思いから、自分が被差別部落の出身であることを3回目の発言を受けて打ち明けたのである。

そもそも部落差別が現存している社会にあって、被差別部落の出身であることを証せば、それがプラスに作用するか、マイナスに作用するのかは、当事者が一番よく知っているのである。11年たってもなお、この課題は解決していない問題でもある。この点を是非とも理解してもらいたいものだ。