2016年・年頭にあたってーなくすべきは戦争と差別、守るべきは平和と人権ー部落解放同盟大阪府連執行委員長 北口 末広  

選挙に明け暮れた昨年、大阪市廃止分割案(大阪都構想)を問う住民投票には勝利したものの大阪府知事・大阪市長のダブル選挙には惜敗した。その現実を厳しく受け止め、本年の部落解放運動を再構築していかなければならない。今年は新たな勝利に向けて前進する年である
これまで部落解放運動は逆風の時代であっても、その逆風を跳ね返し着実に前進してきた。それを支えたのは差別をなくしたいと願う情熱と冷静な現実分析である。いつの時代も方針は現実から与えられる。本年も的確な現実分析のもと正しい方針を打ち出し果敢に実践していく年である。
ヨットは逆風であろうが、自身の位置と目標が明確であればその逆風を活用して斜めに進みながらも前進し目標に近づく。そうした柔軟な発想が私たちの未来を切り開く。社会の現実は宝の山である。岩の凹凸が単なるデコボコにしか見えないか、足がかり手がかりに見えるかの違いは、岩を登ろうとしているか否かの違いである。差別撤廃ヘの取り組みも同様である。私たちが部落解放運動を推し進めている現実社会は、岩の凹凸以上に複雑で曲がりくねっている。それらを柔軟に活用し着実に前進していく必要がある。

昨年も紹介した二〇〇九年一月の「ハドソン川の奇跡」で乗員乗客一五五名の命を救ったチェズレイ・サレンバーガー機長は、ハドソン川を「滑走路」として活用し不時着水に成功し、全員が死亡するかもしれない未曾有の危機を克服した。
私たちが部落解放運動を推し進めるにあたって、活用できる組織やネットワーク、システム、法律、制度等の手段は数多く存在している。厳しい状況下では、「川」を「滑走路」に活用するぐらいの柔軟な発想と実践が求められている。
昨年八月一一日に五〇周年を迎えた同和対策審議会答申は、今も部落差別撤廃行政の基盤である。国が部落差別の存在を否定していた時代にねばり強く国策樹立運動を展開し、同和対策審議会設置法を勝ち取った。先達の労苦は現在の比ではない。多くの法も制度もシステムも何もなかった時代である。そうした時代に先人は未来を切り開いた。
多くの被差別部落には今ある公共施設のほとんどはなく、運動組織も多くの被差別部落で多数派ではなかった。それでも悲観的にならずに同和対策審議会答申や同和対策事業特別措置法制定を実現させた。その時代から現在を照射すれば、部落解放運動を前進させる条件は大きく整備されている。
「答申」には「同和対策は、日本国憲法に基づいて行われるものであって、より積極的な意義をもつものである。その点では同和行政は、基本的には国の責任において当然行うべき行政であって、過渡的な特殊行政でもなければ、行政外の行政でもない。部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない」と明記されている。「答申」から半世紀を経た今日においても、差別意識は多くの意識調査で明確になっており、差別事件も後を絶っていない。部落差別実態も生活保護率や大学進学率、就業構造に明確に現れている。この現実と「答申」をふまえれば、さらなる部落差別撤廃行政が求められていることは明らかである。

一方、今日の部落解放運動の役割は部落差別の撤廃だけではない。あらゆる差別の撤廃と人権・平和の確立を推し進めることも期待されている。平和と人権が後退し、戦争と差別の足音が少しずつ大きくなっている今日、時代は部落解放運動の力強い前進を求めている。平和と人権を守り、戦争と差別をなくすために、一九二二年の全国水平社創立以来努力してきた部落解放運動の真価が問われている。部落解放運動が後退するとき、間違いなく戦争と差別の足音が大きくなっていく。それは第二次世界大戦前と同様である。
かつて戦後四〇年目の一九八五年にドイツ連邦議会でヴァイツゼッカー大統領(当時)が行った演説を今一度想起する必要がある。彼は「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも目を閉ざすことになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」と述べている。この演説は、ナチス時代の「過去への反省」を明確にしたものとして高く評価され、大きな反響と感動を呼んだ。
私たちは戦後七〇年の昨年、過去に目を見開き、非人間的な行為を心に刻んだろうか。日本社会はその逆ともいえる傾向が進んだ。こうした厳しい時代を十分にふまえる必要がある。
第2次世界大戦中のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは、保守党のリーダーであったが、ナチスドイツからの執拗な攻撃に耐え、悲観するイギリス市民に勇気を与えた。そのとき彼は「悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見出す」と述べた。今、私たちにもそうした発想が求められている。
以上の姿勢を堅持しつつ、逆風を跳ね返す年にしていく決意を申し上げ、念頭のご挨拶とさせていただきたい。