Vol.323 デジタル空間の害悪から守るべきは未成年だけではない

「ドパガキ」とか、「フレネミー」、さらには「ノンデリ」など、このコラムを斜め読みされる方々は、この言葉をご存じだろうか。わたしも娘に教えてもらえなかったらちんぷんかんぷんってところだろう。

「ドパガキ」とは、「『ドーパミン中毒のガキ(子ども・若者)』を略したインターネットの俗語の言葉で、TikTokやYouTubeなどのショート動画や、刺激の強いゲームなどに慣れすぎてしまい、常に強い刺激を求めてしまう若い世代を揶揄(やゆ)する言葉として使われている」というのが、AI解析である。

「フレネミー」は、友人の意味を示す“フレンド”と、敵の意味を示す“エネミー”を足し合わせた合成語のことで、「表面上は友達のように親しくしながら、裏では嫉妬や敵意を抱いて足を引っ張ったり傷つけたりする人」を指す造語である。さらには「ノンデリ」とは、「配慮や気配り(デリカシー)に欠ける言動や、そのような性質を持つひとを指す言葉」だとAIは答えている。

すべてが、全世界を席巻しているSNS関連からうみだされた造語ということになる。
そして、その造語が飛び交う範囲は、きわめて限定的で、限られた空間で起こっている。つまりは、特定の社会や集団、若者を中心とする仲間などで限定され、グループLINE間に限られるなど、非公式で砕けた言葉遊びが許される範囲で使われているというのが、実状のようである。その狭い範疇が、時々その範囲を越え、ひとへの誹謗中傷や嫌がらせ、いじめにつながっていくから始末が悪い。

ドーパミンが大量に出るコンテンツばかり見ているひとを指す、“ドパガキ”という言葉は、集中力が続かなくなる若年層を揶揄する意味で使われることが多いようだ。人間はもともと刺激が得られるような動画が好きで、面白い話があれば聞きたいし、楽しい遊びがあればやりたいし、気持ちよく快楽を得られるものならば飛びつくものだ。これは若者だけの話しではない。ネットニュースを延々と見たり、SNSを何度も開いたり、動画を流し続けたりするひとはたくさんいる。つまり「ドパガキ」という言葉は若者を失笑する言葉ではあるが、本当は現代人全体に刺さる造語でもある。

それをグループ間で10人程度で楽しみ交流するという健全な形態ならまだしも、TikTokやYouTubeなどのショート動画を回して、それをスクロールしつつゲームするとか。24時間寝ているときもスマホを片時も離すことなく、ショート動画がずっとループで流れているという現状は、“スマホ依存”がつくり出す弊害のなにものでもない。学生であれば、学力の低下や長時間何かに取り組むことが困難になったりといった影響が指摘されていることは言うまでもない。
 
7月初旬に愛知県の研究所主催の学習会に招かれ講師として90分間喋ったのが、一週間程度でそのテープ起こしの原稿が送られてきたのだが、まさに“AI”を用いての講演録であったが、それが完璧に近い内容で、わたしが作成したレジュメまでAIが読み込んでいたのか、講演で喋っていない部分までもが、講演録に見事反映されるという出来映えである。

たしかに便利な代物である。しかし、そのAIによる回答を鵜呑みにし、丸投げしてしまうと言う仕事の手法が近年問題視されている。それを“AIスロップ”と呼び、「AIによって大量生産されがちな低品質なデジタルコンテンツ」の事を指すらしい。

つまりは、「読み手の時間を奪う長文AI回答を、そのまま仕事に活用し、丸投げしてしまう」と言ったことを指す言葉として用いられており、AIが学習して回答した質よりも量を優先してしまうと言う危険性を指摘している。

大量の情報を浴びた受け取り手は、真実かどうかを逐一判断することに疲れてしまう。判断力が低下する「認知疲労」を引き起こし、そして徐々に、あふれる情報を批判的な目で見ることができなくなるというSNSの渦に巻き込まれ、抜けきることが出来ない沼地に吸い込まれていくという危険に直面する。

デジタル空間がもたらす害悪から守るべきは未成年者だけでなく成年者を含めたすべてのひとだということを理解した上で、その害毒とは、ポルノなどの不適切コンテンツなどといった瑣末(さまつ)な範囲のことを指すのではなく、人間の“脳”そのもののの機能が壊れていくことになってしまうということ。そういう空恐ろしい文明論的な次元の害悪であるという危険性をわたしたちはそろそろ認識しようではないか。