「自民党ではなく野党に任せてより良い社会が実現できるという気持ちが持てな
コラム | 2026年10月27日
コラム | 2026年10月27日
「自民党ではなく野党に任せてより良い社会が実現できるという気持ちが持てない」というのが有権者の偽らざる感情であると新聞で報道されていた。だとするならば、野党陣営にこれといった期待もなく、そもそも中道が解体され、バラバラの野党へはますます期待薄ということなのか。
この問題を解く鍵は、国民生活に関する世論調査にあるようだ。
自分たちの生活は充足しているかという問に対して、内閣府調査・2025年8月調査の国民生活に関する世論調査の結果は、「満足」とする国民の割合が50%で、「不満」が49.7%と満足がかろうじて上回っているという世論結果である。多少不満が年々増加の傾向にはあるようだが、現在の生活に何らかの不満や窮屈さを感じている状況が続いてはいるものの、概ね国民はいまの政治に満足はしていないもののお先真っ暗で路頭に迷うという瀕死の状態でもないという現状である。
つまりは、政治にそれほど関心が高いわけでもなく、なんとなく生活に不満や物価高でとくに最近“葉物野菜が高騰してる”と嘆いている一般庶民にとっては、はやく消費税1%やってこいと言うところか。つまり、どの政党が政権を取るかではなく、ある程度安定した政権で、そこそこの政治を継承してくれれば問題がないという消極的な政治参加の姿勢である。
それを政治の舞台では大上段に振りかぶって、「いまの政権は権威主義的だ」とか、「高市さんは右寄りで、ファシストだ」と野党が攻撃しても、いまの生活に不満を感じながらも政治への関心が薄い有権者の人達へは響かないのは当然である。これは多分有権者が自然と野党を“応援したい”“今度こそ自民党以外に選挙で勝ってもらいたい”と思うような環境や仕組みをつくることが出来るかどうかと言う経済で言えば、マーケティングそのものが求められているように思う。
目の前の有権者に直接アプローチして自らの政党の政策を売り込むという国民の“好み”に、「なるほど」という同調を引き出すことが出来るかどうかにかかっているだと思う。
投票先に悩んだあげく前回の選挙では、“まあ自民党でいいか”と投票したような人たち、いわゆる消極的選択として、自民党を選んだひとたちからすれば、野党各党の政権批判が繰り返される演説に対して、政権が腐敗していたり、望ましくない政治をやっているので与野党の政権を交代させるべきだ、と野党が訴えるのは当然ではあるものの、“権威主義だ”“セーフティネット軽視だ”とレッテルを貼ることで、半分ぐらい支持している国民のこともまた政権と一緒に中間派の支持者ごと「高市政権を支持している奴らだ」と自分たちがコケにされているという理解され、ますますリベラル側から遠退いていくという結果を生んだ。
消極的選択として、自民党でいいかと投票した有権者に対して、野党支持者から「あの権威主義者の権化のような高市自民党に投票した政治の素人−なにもわかっていない」と煽られると、頑張って与党批判をした結果、与党を何となく支持した人もついでに敵に回すことになるという皮肉な結果をもたらしたのではないだろうか。
リベラルの旗を掲げる自分たちが“正義だ”と言いたい気持ちは理解できる。しかし、政治の素人で政治を理解していないから高市さんを応援してしまう有権者は、何もわかっていないとのレッテル貼りは、自分たちの自己中心的な考え方であり、それこそ傲慢だと言わざるを得ない。なぜ、アメリカはトランプのような独裁的な指導者を選んだのか、有権者は、何もわかっていないとリベラル側が指摘しても現実には、有権者の半数以上が、トランプ大統領誕生を選んだという現実を直視すべきである。
その背景には、ある程度いまの生活が適度に維持されれば、政治への大きな変化を求める必要がなく、昨日のような今日があり、また明日があれば、変化はそれほど望まないという“概ね満足50%”という国民世論がそれを現実のものとしているのだ。
政治を適当に回してくれていれば、基本的には国民はいまの日本社会に概ね満足で、自民党ではなく野党に任せてより良い社会が実現できるという気持ちも持てないというのが有権者の偽らざる現状ではないだろうか。やはり群雄割拠で留まるのではなく、オリーブの木といった連合体構想がいまこそ求められている最大の課題と言えそうだ。