Vol.323 検察の都合とエゴを許さず無実の人を救う再審法改正を

「再審ですべてをやり直すなら、3審制そのものの意味が問われる。秩序維持の観点からも、確定判決は容易に覆されるべきではない。だからこそ、再審を開始するとした裁判所の決定に対しては、検察側として抗告し、再審の開始それ自体を取り消すという検察側の権利はなんとしても死守したい」というのが、検察側の論理のようだ。

いま国会審議で山場を迎えようとしている「再審法」改正の最大のポイントのようである。

“社会の秩序維持”の観点から一度確定した有罪判決を簡単に覆すわけにはいかないというのが、検察側の本音のようだ。“自分たちが証拠を一番見ている。基本的に有罪を決めたことに間違いはない”というのが大前提になっているようである。自民党の法務部会で議論が紛糾し大荒れとなり、法務省が法改正案を再度持ち帰り、修正するという事態となった。

再審法の改正については、超党派の「えん罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟」が発足し、総選挙前には国会議員の半数以上が議連に参画するまでとなり、議員提案の法改正案が国会審議されるというところにまで至っていた。

その内容は、①請求人側の請求があれば、裁判所は相当と認めるときには検察官に証拠開示を命じなければならない、②裁判所が再審を開始した場合に検察の不服申し立てを禁止する、などを柱とする改正案をまとめ、昨年6月に議員立法として衆議院に提出したが、先般の衆議院解散によって廃案となった。

それに対し、法務省は、法務・検察寄りの委員が多数を占める法制審議会刑事法(再審関係)部会をたちあげ、法務省が取りまとめた再審手続きの法案を多数決で可決し、答申した。

法務省による法案は、検察官の不服申し立ての禁止は盛り込まれず、証拠開示も限定的である上に事前審査手続きや、目的外使用禁止規定など、本来の再審法改正の意味であるえん罪被害者の迅速な救済とはかけ離れた「改悪」案としてまとめられている。

日本の刑事裁判は、地裁・高裁・最高裁の3回の審理で結論を出す“3審制”を採用しており、一度確定した判決は、原則として覆されないのが通例である。

再審は、その例外としてやり直しを認める制度だが、この“例外”をどこまで認めるべきかがいま問われている。しかし、検察側にはその“例外”と“秩序の維持”のために法を「改悪」してでも守りたいというギリギリの攻防が国会内で巻き起こっているということになる。

しかし、例外をつくり出したくはないという検察側の主張、社会秩序を維持したいという考え方は、どちらも検察側の都合とエゴでしかなく、秩序はあくまで検察サイドがいままでの慣習を維持したいというものであり、いわれもない服役を余儀なくされたり、死刑執行の恐怖にさらされる「えん罪」被害者の正義とは比べものにもならない。

刑事訴訟法の3審制は大原則として、地裁の裁判官、高裁の裁判官、最高裁の裁判官、全部で9人で判断した確定判決に対して、再審が開始され、地裁の3人が確定判決を覆し、再審開始の決定を下すことそのものが、検察側にとっては許すことのできない秩序の崩壊になってしまうという論理のようだ。

再審が長引く最大の要因である検察による不服申し立て=抗告の禁止をなんとしても盛り込んだ再審法の改正を実現しなければならない。長年の悲願でもある。袴田事件は地裁の再審決定から、実際に再審が開始されるまで、およそ9年以上の歳月を要している。これこそが、人権侵害であり、無辜の救済という観点からも早期に無罪が確定されるべきである。

今の再審法を改正しようという気運も袴田事件があまりにも長期にわたっての審議となったからこそである。

狭山事件は、昨年3月に石川一雄さんを亡くし、石川早智子さんによる第4次の再審闘争に移行している。無実の罪で逮捕され、社会から疎外された獄中生活が約30年。「わたしは無実です」と仮釈放後に訴え続ける石川さんの姿が30年。

そして石川さんが旅立たれた今、新たに石川早智子さんが、再審開始を訴えている。「無実のひとを救う」という当たり前の主張が、検察側の都合とエゴが優先される“法改悪”を許すわけにはいかない。

そのひとの一生を奪ってはならない。しかもそれが、検察側の権威を死守したいというエゴのみが理由となったものであることを許してはならない。無実のひとを一日も早く救う再審法の改正を期待したい。