Vol.261 多くに見てもらいたい映画『福田村事件』 しかし違和感も拭えない

「お、お〜とと」この映画館でこれほど観客が押し寄せるものか・・・こういった社会派の映画をこれだけ多くの人たちが観に来るんだとあらためて感心させられた映画が『福田村事件』だ。

全国観客数10万人を突破したらしく、関東大震災から100年という節目の年とはいえ、ひさしぶりヒット作品であることは間違いなさそうな勢いである。

映画を観に来られた観客の顔ぶれを見わたすと、なるほどと思うような「たぶん左の運動にご縁のある人だろうなぁ〜」とか、「長い間労働運動を担って来られたんだろうなぁ〜」と思わせる顔ぶれの中に、「おや〜」と思うような若いカップルや見た目で判断して申し訳ないが、結構全身タトゥーをまとった若者がひとりで鑑賞しているのに驚いたものだ。

正直、映画は良い映画だ。もっともっと多くの方に見てもらいたい。大惨事による流言飛語や混乱、デマが流されて集団化すると、ひとはたやすく人を殺してしまう可能性があることに警鐘を鳴らしている映画でもある。同じ過ちを繰り返さないためにもひとりでも多くの方に見てもらいたい映画であることに違いはない。

しかし、違和感も同時にフツフツと湧き出すことも事実だ。

千葉の福田村で組織された自警団のメンバーは、すべて香川からの行商団15名が朝鮮人だと間違った認識をして惨殺したのだろうか。ひとりぐらい当時の西日本からの行商に対して、「被差別部落からの行商だとの認識がなかったのか」疑問が残る。また当時社会的な影響を持ったであろう水平社の創立が、果たして殺害される直前という緊迫した場面で、水平社宣言を朗読するというのには違和感を覚えたのはわたしだけだろうか。

映画制作側は、フィクションの映画のため諸説いろいろあるなかで、自分たちの考え方を議論しながら撮影を続け、こういう結末の映画になっていったと説明するだろう。史実がどこまで正しく映画に反映されたのかはこれから検証されていくだろう。

部落出身者という立場で映画を検証すれば、なぜ、香川の被害を受けた行商団のムラは、それこそムラ挙げて仕返しに行かなかったのだろうかと疑問に思った。被差別部落の団結という視点から見れば、ひとりでも暴力を受けたり、いじめられたらムラ挙げて仕返しに行くという“慣習”は当時の被差別部落になかったのかと思ってしまった。

香川のメンバーに聞くと、帰ってきた行商団の話を聞いたムラの男衆は、道具を揃え、いまにも飛び出していくという勢いにあったらしい。なんとか他のメンバーになだめられて仕返しを断念したのだという話を聞いた。

この話を聞いて、なんとなく落ち着いた自分がいることに複雑な思いだ。「部落や部落出身者に侮辱の意思を示したるは徹底糾弾を為す」という水平社の理念が、浮かび上がった。

大震災という未曾有の被害が、その被害状況が拡大するにしたがって、「井戸に毒を流した朝鮮人がいる」というデマが広がり、権力に一部認められ認証された自警団があいついで組織され、小権力を持った人間が、方言が違う言葉が違うと言って、朝鮮人と見なされ9名もの尊い命が惨殺されるという痛ましい事件が、福田村事件である。

当時の朝鮮人に対する差別意識があそこまでの残虐な行為にまで走らせたのか。それとも当時の行商人に対する偏見があって、日常的に犯罪を生業にしているグループだとの認識が広がっていったのか。さらには、方言のわからないよそ者に対する排他的な意識からなのか。また、西日本から行商に来ていた集団こそが、被差別部落の一行であった言う事実を知るものがいたから惨殺にまで及んだのかなど、群集心理とあわせて今後の真相が究明されなければならない課題でもあるだろう。

「部落の人たちは、朝鮮人と間違われて可哀想」「ハンセン病患者に無理強いする行商団に天罰が下った」「地元香川で生活できない理由があって、千葉まで出稼ぎに来た犯罪者集団」など、ネット上では部落の行商集団に対する偏見と差別が散見され始めている。また興味本位で、香川の被害部落を物見遊山気分で訪れ、現地で慰霊碑やまちの様子をネットにアップするという者まで出始めている。

現地では、「もうこの事件のことには触れないでほしい」「そっとしてほしい」「この地域をこれ以上、広げないでほしい」といった意見も多いと聞く。千葉と香川の対立ではなく、不幸な出来事という壁を越えて、両側から超える営みの橋渡しを創造してみたい。