Vol.262 加害者側の論点ずらし ジャニーズ会見での「トーンポリシング」

突然、「トーンポリシング」という言葉が飛び込んできた。また難しい難解な単語だ。
トーンポリシングとは、社会的課題について声を上げた相手に対し、主張内容ではなく、相手の話し方、態度、付随する感情を批判することで、論点をずらすことを指すらしい。

近年、インターネットやソーシャルメディアが普及したことで、差別やハラスメントといった社会問題に対し人々が声を上げやすい環境となった。それにより社会課題の認知向上や、議論の活性化につながる例もある一方で、いつの間にか発言者の話し方や態度に注目が移り、議論が脱線してしまうこともあるという“論点づらし”ことを指す言葉だそうだ。

この言葉は、ジャニーズの性加害2回目の会見で起こった出来事を指している。
会見で、質疑応答で指名されなかった一部記者がマイクなしで質問したり、ヤジが飛ぶなど荒れ模様となったの受けて、これを見た井ノ原氏が、「全国に生放送で伝わっておりまして、小さな子どもたち、自分にも子どもがいます。ルールを守っていく大人たちの姿をこの会見では見せていきたい。どうかどうか、落ち着いてお願いします」と静かな口調で呼びかけ、その直後、一部報道陣から拍手が起こるというこの一連の事態そのものを“トーンポリシング”と言うのである。

わたしもこの会見を見ていて違和感を持った。「ルールを守っていく大人の姿を子どもに・・・」という井ノ原氏の説明について、「これジャニーズ側の会見。つまりは、加害者側の会見であり、そもそも社会のルールを破ったのは、ジャニー氏個人も含めジャニーズ事務所の責任であり、その破った側がルールを持ち出すことに異様な違和感を覚えた」のは、わたしだけだろうか。

ルールを破った加害者がルールを持ち出したり、子どもに対して性加害をした側が子どもたちの名を出して“あなたたちがルールを守りなさいよ”と言うというのは、加害者の側が追及者からの論点づらしそのものであり、その行為そのものを“トーンポリシング”と言うのだそうだ。

わたしたちの組織に向けられる目もこの“トーンポリシング”の要素が強い。

「部落は集団でやって来る」「あのムラの連中は、うるさい、怒りっぽい」「部落と言われる地域は、閉鎖的であり、こわい」などと、部落に対する偏見や固定観念を基に、レッテルを貼ってわたしたちを否定する場面が多々見られる。相手を差別したり、傷つけたりする意図はなくとも、無意識の偏見から知らず知らずのうちに相手の心に影をおとす言動や行動をしてしまう行為は、”小さな攻撃性”を意味する「マイクロアグレッション」と呼ばれ、差別と人権侵害につながるおそれのある行為でもある。

「話し合いは冷静であるべきだ」「感情的に相手に対して言うべきではない」という一面正論みたいな議論のあり様が、実は社会的強者の立場にある人々がそれを常に決定し、同じ枠組みの中で議論することをマイノリティに求めるのだ。逆に、差別や人権侵害を受けた人々が感情と共に訴えようとしたときに、「感情的では建設的な議論にならない」「中立の目線で語るべきだ」と否定することで、会話の主導権がマジョリティに移され、議論が避けられていく傾向にある。

古い話しで恐縮だが、1986年12月「地対協」意見具申が出され、今後の同和行政の方向が提案されている。その中に「同和問題についての自由な意見交換の場」として、次のように指摘されている。

「同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは、差別意識の解消の促進を妨げている決定的な要因となっている。民間運動団体の行き過ぎた言動が、同和問題に関する自由な意見交換を阻害している大きな要因となっていることは否定できない。」と、まさに社会的強者側からマイノリティに対して、「その攻撃的な立ち振る舞いが、あなた方への差別や偏見になっているのですよ」「たまたま無意識に発した差別や偏見を大袈裟に取り上げ、抗議するからいつまでも差別はなくならない」とする考え方だ。

反差別国際運動(IMADR)は、今回のジャニーズ問題を性加害という範囲を超えた“性奴隷”だと指弾している。そんな事件を二十年以上放置し、見て見ぬふりを決め込んでいたジャニーズ側の「落ち着いて下さい。冷静に話し合いをしましょう」との問いかけは、自分たちが侵した罪は、棚上げして、対等に話し合いを、ということであり、被害者サイドの思いは排除され、さらに「子どもにルールを守るように」「大人たちも気をつけましょう」にいたっては、何百人もの未成年者に対する性加害を真摯に反省している姿はどこにもない。

差別への抗議の意志は、人権侵害行為にたいする抵抗行為であり、自らの人権を回復する営みであることをわたしたちは、“トーンポリシング”から理解したい。