Vol.246 繰り返される「西成差別」 「差別の意図」の問題ではない  

“西成”という地域を称して、「恐い」「ガラが悪い」というイメージを一括りにして“西成差別”と表現することがある。わたしも西成の地域で育ちいまも西成で生活しているひとりである。

小さい頃から「西成はガラが悪い」「ひとりで歩いていたら突然殴られる」といった予断と偏見を多くのひとから聞かされて育ったことを覚えている。そうした一部の偏見を武器にして、「自分たちは西成から来てるゾー」と地名を威嚇の道具にして、ひとに対して恐怖感をもたせることで、優位な立場に持ち込めるという事を小さい頃から知らず知らずに理解していたのだと思うことがある。

心のどこかで、「西成を差別するヤツ」は許せない。しかし、西成にあるこうした予断と偏見を逆に利用し、「だから腕っぷしは強いぞ」と威嚇するための脅かすひとつの捨てゼリフとして、「俺は西成の出身や文句あるか」とウソぶいていた自分があったように思う。

つまり、にんげんはどこで生まれ、育ったとしてもさほどの違いはないはずである。しかし、地域がスラムで、環境が悪いそうした地域で育ったにんげんは、ガラが悪く、口調もきつく、暴力的で、犯罪者も多い。アウトローとして、社会からはみ出したものたちの集合体とのレッテルが貼られ、こうした地域で育ったほとんどのひとが、ならず者呼ばわりされるという地域属性をもった差別が、“西成差別”である。

中日新聞のコラム、中日春秋の2月2日付の記事で、「二〇〇七年に英国人女性を殺害した市橋達也受刑者は逮捕まで二年七カ月の逃走中、名を偽り大阪・西成で土木作業の仕事を見つけた」「日雇いの職を求める労働者とそれをあっせんする手配師が集う街。ドヤと呼ばれる簡易宿泊所が連なる。身分証などあらためず、過去も詮索しないのが流儀という」「遠いダム建設現場に行かされて死亡し、そのまま埋められた人がいるとの都市伝説もある。真偽はともかく、互いに干渉しない西成では誰かが姿を消しても気にされない」との記事が掲載された。

続いて、「この街に劣らず、フィリピン入管当局の収容所も訳ありの人には居心地が良いのか。収容中の「ルフィ」を名乗る男らが日本で相次ぐ強盗事件の指示役だった疑いがあり連日、記事が紙面を賑(にぎ)わせている」「収容所は賄賂が横行し、スマホも入手可能。カネの力でエアコン付きの部屋に入り、マグロや牛肉を取り寄せていたとも報じられている。強盗実行役は高額報酬の「闇バイト」として交流サイト(SNS)で集めたよう。事実なら日雇い犯罪者を募る手配師である」と西成地区とフィリピンの収容所内の治安の悪さを関連付ける記事が掲載された。

その記事から3日後の5日、謝罪するかのように以下の記事が掲載された。
「西成に日雇い仕事を求める人と斡旋(あっせん)の手配師が集い、昔は逃走中の容疑者も偽名で職を見つけたことに触れてから『この街(西成)に劣らず、フィリピン入管当局の収容所も訳ありの人には居心地が良いのか』と書いたことを『差別的』と指摘された。差別の意図はなかったが、たしかに西成に暮らす人々への配慮に欠けた。おわびしたい」との内容である。

明確に差別の意図はなかったと述べている。しかし、闇バイトによる殺人事件にまで至った犯罪のウラの元締めとも称されるフィリピン収容所内の「ルフィ」なる強盗殺人の首謀者とも言える重要参考人が収容され、賄賂が横行している不法地帯化した収容所という問題と、あいりん地区を抱える西成地域を同列に扱う事そのものが差別であり、意図があっとかどうかの問題ではない。

「差別する意識がなかった」とか、「そういう意図はなかった」という言葉は何度も繰り返されてきた。しかし、まぎれもなく、西成区民は、不法地帯とも言えるフィリピン収容所と同じ社会から爪弾きされ、軽蔑され、非難されなければならない対象なのであろうか。

フィリピンの収容所は賄賂が横行する治安の悪い場所であることを強調したいがために、あいりん地区を抱える西成区を登場させ、それを比較することによって、読者に“不法地帯”や、“ならず者の集まり”、さらには“犯罪者の温床”といったマイナスイメージを植え付けるためにわざわざ西成地区を持ち出したとしか考えられないコラムである。真摯な反省が求められることは言うまでもない。