Vol.247 包括的人権法に反対する人たちの価値観

「同性婚の人が隣にいたら嫌だ」「同性婚を導入したら国を捨てる人もいる」
信じられない発言が、首相秘書官から飛び出した。
岸田首相の側近である荒井勝喜首相秘書官による差別発言であり、当然のことのように更迭されて一件落着を図ろうとしている。

岸田首相も同性婚の制度化について「社会が変わってしまう課題だ」と国会で答弁しており、どうも一秘書官の発言と言うよりは、今の政治の中枢にいるひとたちの根底にある考え方のようである。政権を担当する自民党の考え方の根底に、家族観や価値観、社会が世界的に変わりつつあることにほとんど目を向けることなく、同性婚をめぐって、復古的な家族観を押しつけようとする右派勢力、宗教勢力におもねるような立場に固執しており、「同性愛者がまちに溢れるような社会は急激に変化させすぎなので、ゆっくり行こうではないか」と“急ぐな”、“慌てるな”、まずは“理解増進”からと言ったレベルの議論である。

この考え方の根底にあるのは、杉田水脈氏ではないが、「生産性の有無」にあるようだ。同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」などと寄稿している問題である。

つまり、“生産性”がキーワードとなって、社会をあまり自由にしてしまうと日本という国に税金が落ちない。新たな生産性が生まれないという考え方であり、豊かな国“日本”とは、ほど遠いかけ離れた国になってしまうと言う経済性の側面からの否定という部分と、「同性愛は後天的な精神の障害、または依存症」などとするLGBTQら性的マイノリティーに対する差別そのものと言える人権面からの否定というふたつの側面からの反対論が根底を成していると言わざるを得ない。

多様な性的ライフスタイルを認めれば、従来から築き上げてきた日本国本来の家族観と社会観を崩壊させることとなり、岸田首相が言う「社会を変えてしまうことになる」との発言につながっていくのである。この復古的な家族観は、同時に“差別”の問題ともリンクしている。

それは、一部の政治家による右派勢力、宗教勢力の基本にある家父長制の復権という考え方であり、父系の家族制度において、家長(男)が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態のことであり、また、このような原理に基づく社会の支配形態を求めるという政治の体系である。つまりは、社会の支配形態もピラミッド型を求める三角形を基本とし、政治家や大資本家という一部がピラミッドの頂点に位置するという社会構造であり、当然、底辺には被差別マイノリティや貧困に苦しむ階層などが三角形の底辺を支えるという構造だ。

同性カップルや重度の障がいを持っているひとなどは、生産性を生み出さない社会階層であり、ピラミッドから見れば、一番の底辺に位置するため、そのひとたちの要望など聞く必要がないという排除の論理そのものである。差別を法的に禁止をする法律などを制定すれば、その底辺に位置している階層が騒ぎ出し、三角形のピラミッド型社会が崩壊をしてしまう危険性があることから、包括的な差別禁止や人権救済制度は日本の国においては制定しないというのが基本的な考え方として通底している。

家父長制を原理とする社会の支配形態を維持するためには、被差別マイノリティ問題は、宣言法的な「差別をしてはダメですよ」という表現にとどめ、差別への法的規制や救済措置等の踏み込んだ法案については、“表現の自由”を前面に押し出し、法律で差別を禁止するという行為は、国民の分断につながるとして反対を唱えている。

つまり、“何が差別にあたるのか”、“どの表現が人権侵害になるのか”といった差別の判断基準が、政府から独立した「人権委員会(仮称)」や「差別解消調整委員会(仮称)」で判断されるようなことになれば、自らがピラミッドの頂点に位置している立場のひとたちが、独立した委員会から勧告されたり、指導されたり、処罰される対象になることなど、あり得ない現実として受け入れられないという立場となる。

だからこそ、包括的な差別禁止法の制定は、何が差別かの決定権を独立した委員会にわたすことなど許されるわけがなく、人権啓発レベルでお茶を濁し、「差別をしてはダメですよ」との枠内にとどめ、深刻な差別実態は、放置するという現状だ。

わたしたちは、三角形のピラミッド型社会を崩壊させ、それこそフラットな社会を創りあげるためにも包括的人権の法制度の確立が求められていることは言うまでもない。