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最近「人権デューデリジェンス」と言う言葉を耳にすることがある。
金融の世界では「投資先の価値やリスクを調査すること」との意味になるらしいが、「人権デューデリジェンス」の場合は、「自社や取引先の企業において、どのような場所や分野で、どのような人権に関わるリスクが発生しているかを特定し、それに対処すること」という解説となるらしい。
つまりは、人権に関する影響を特定・予防・軽減・説明すること全般を、「人権デューデリジェンス」と呼ぶということになるようだ。こんな便利な用語が国際的に認知されるようになったことを歓迎するが、わたしから言わせれば、もっとはやく国際的な学者や知識人によってたどり着いてほしかった考え方である。
それは、まずは1998年に発覚したアイビー・リック社による差別身元調査事件である。
一千社を超える名だたる企業が採用に関し、アイビー・リック社に対し採用調査を依頼。委託を受けたアイビーとリック社は、個人への身元調査を行いAからDまでの人物評価の他、履歴書以外の情報を入手した場合、「※(調査不能)」という評価を下していたという事件である。「※」の具体的な説明としては、障がいを持った家族がいる場合、被差別部落に居住している場合、帰化した在日コリアンであった場合などがその対象として評価され、ほとんどのケースが不採用という差別身元調査事件が発覚したのである。
このアイビーとリック社に依頼をしていた多くの企業との話し合いが、行われてきたが、その企業のほとんどが口にした言葉が、「わたしたちは部落出身者であるとか、在日コリアンであるとか、そんなことを調査会社に依頼したことはございません」という内容であった。つまり、「わたしたちは調査にあたってそんな要望をしたことはなく、勝手に調査会社が調べてきて、「※」→このような米印をつけた報告書が送られてきた」という一点張りの説明が繰り返し行われてきたところである。
話し合いの中で、わたしたちは、企業自らが進んで差別的な身元調査を依頼したという事件ではなく、フリーハンドで調査を依頼し、人権に関する指摘も要望もなく、調査結果のみを信用したというそれこそ、「人権デューデリジェンス」というリスクも説明責任も果たすことなく、採用調査を依頼していた企業の杜撰な人権感覚が問われた事件として追及したものである。
また、2008年には、「土地差別調査事件」が発覚。マンションなどの建設予定地周辺の立地条件を調査するマーケティングリサーチ会社(大阪市内)が、同和地区の所在地などの情報を報告書としてまとめ依頼主に提出していたという事件である。マンション建設予定地周辺の地域評価や価格の動向などを調査。報告書にまとめる際、「立地特性」などの項目として、「同和問題に関わってくる地域」「指定地域」「解放会館などが目立ち敬遠されるエリア」「地域の名前だけで敬遠する人が多い」などの表現を用いて同和地区の所在を報告していた例や「問題のある地域」「旧○○部落」などの表現で、「不人気エリア」「旧○○部落」「指定地区」など、同和地区であることを示していた。
この事件も同様に、調査を依頼していた広告代理店やデベロッパーが同様に口にしたのは、「そんな差別的な調査を依頼していません。近隣情報を知りたかっただけです。」と終始わたしたちに繰り返された言葉である。このケースもまた同様に、「人権デューデリジェンス」という言葉で説明がつくほど、調査依頼に関する社としての人権基準や、報告の提出を求める際の調査会社との契約内容など、人権に関わるリスクが発生する可能性がある以上、それに対処する基本的な基準や考え方を持っておく必要があることは明らかである。これを放置したまま野放図に調査を依頼していた企業側の人権水準が問われた事件である。
98年の採用時における「身元調査事件」、08年の「土地差別調査事件」でわたしたちが繰り返し求めてきたのは、この「人権デューデリジェンス」という考え方であり、企業側のサプライチェーンも含め関係するすべての企業経営にとって人権に関する基準やガイドラインなど関係先も含めキチンとした対処方針を持つよう求めてきた。それが、ようやくこの時代に合って、「人権デューデリジェンス」として説明できることに、一連の差別糾弾の方針の正しかったことが検証されることをうれしく思う。
当時、企業の担当者のひとが、「差別的な調査を依頼していないのに、なぜ解放同盟との話し合いに応じなければならないのか?」と嘯く(うそぶく)ことなく繰り返していたことを昨日のように思い出す。差別糾弾によって求めた本質が、ようやく国際的な人権水準が追いついてきてくれたようである。
(ちょっと生意気かなぁ(笑))