Vol.225 50歳未満のパネラーによる討論集会で気付かされたこと

 

あらためて“世代”について考えさせられた討論集会であった。
3月19日、50歳未満のパネラーによる「わたしにも言わせて!これからの運動!」討論集会が開催された。わたしは集会に顔を出すな~と言われ、リモートで聞かせてもらった。

自分では同和対策依存という体質から完全に抜け出ているという自信があったが、20代や30代の人の意見を聞いているうち、知らず知らずにまだその体質から抜け出せていないということに気づかされた。

やはり地域には、解放会館があって、青少年会館、老人センター、多くの公営改良住宅。さらには、奨学金などの個人給付事業。その延長線上には現業職中心の公務員採用という一連の同和対策による部落の環境改善を中心とするまちづくり。いまではまったくその様相を変えているにもかかわらず、頭のどこかに解放同盟組織に対する求心力が、その時代からは多少減少してはいるものの持続されているとの認識があったことを思い知らされた集会であった。

よくよく考えれば、法期限の2002年以降に物心ついた若いメンバーやそれぞれの被差別部落に来住してきたひとたちの総数を考えれば、同和対策華やかしき時代を知っているメンバーより、それをまったく経験として持たない階層が増えている事実にあらためて驚きと発見があったように思う。

つまりは、地域の圧倒的多数を組織した、いや組織できた解放同盟支部という時代を知っている層が、今も多数を占め地域での影響力を保持しながら運動を先頭に立って引っ張っているという自覚と自信があったが、むしろまったく時代は逆であり、地元社会福祉法人を中心とした福祉でのまちづくり運動の影響力が増し、支部の求心力は低下しているという現状をしっかりと認識するところから新たな運動が求められているようである。

20代の部落解放運動に参加しているメンバーは、「そもそも高校も大学も親に負担をかけて、卒業をしたメンバーであったり、バイトで学費の一部を負担した経験のある子どもたち」であり、わたしみたいに満額奨学金で高校を卒業まで負担ゼロで過ごした世代ではない。

また、高校や大学を卒業して支部に相談に行けば、時間はかかるものの公務員採用にこぎ着ける可能性があるという時代でもない。当然伝家の宝刀みたいに、「住宅入居したいなら解放同盟」「奨学金受けたいなら支部へ」「保育所入所希望なら地区協へ」という“宝刀”がなくなった以上、支部への求心力は低下し、支部員も減少に向かうことは至極当然のことであったかも知れない。

世代間ギャップがはっきりと浮き出た討論集会であり、わたしたち執行部の世代がまだ抜け切れていない“同和対策事業時代の支部像”から完全に抜けきれるかどうかが、これからの部落解放運動にとってもっとも重要な課題のようだ。

部落に対するネガティブなイメージは、同和対策によるねたみ意識といった逆差別とともに、支部長-書記長-執行部というトップダウン型組織による一種の権威主義がもたらす負の遺産もそこから完全に脱却できない要因であるやも知れない。

「やってもらうから、自分たちでやっていく運動へ」というスローガンは正しいが、第二期行政闘争主導時代を引きずっての運動である以上、行政闘争主導の時代を知っているか、知らないかの世代間ギャップは思っている以上の乖離があると捉えるべきであるようだ。

第二期行政闘争主導と位置付いた時代を全国的に牽引してきたのは大阪府連だろうと思う。その財産を活かして第三期や第四期と言われる運動のきっかけをつくろうともがいている時代やも知れない。

しかも、これからの運動のきっかけをつくるのは、解放同盟支部ではなく、新たなNPOであったり、法人であったり、時には株式会社かも知れない。地域という枠を決め、そこに一定の行政予算をつぎ込み環境改善と個人への給付事業の充実で自立促進を促すという第二期行政闘争の時代の音頭をとって指揮した解放同盟各支部に注目と結集を集めた時代はもう一昔以上前のことだ。

“多様性”という言葉は、福祉や教育、環境や平和運動と言った分野別の多様性も地域には必要であるが、世代別の多様性も尊重されるような部落解放運動の形態が求められていることが討論集会で明確になったようである。

まさかこの時代に「部落解放子ども会」ではないが、子どものネットワークを呼びかけ他府県へお邪魔して子どもたちの親睦と交流を実現したり、コロナから解放されれば、沖縄やアイヌ、さらには海外での子ども交流派遣の事業などに取り組み、緩やかなネットワークを子どもの世代で実現させるという約束が、討論集会から見えてきた答えのようだ。