Vol.167 関電金品授受問題の本質

「この問題に触れない水平時評では意味がないぞ」と多くの人から言われているようなので、やっぱりきちんと向き合いたいと思う。

関電幹部による金品授受問題だ。
9月末以降、関西電力の不正問題が報道され続けた。発覚から2週間後の10月9日会長の八木氏らが三度目の会見で辞任を発表した。
この問題、マスコミ報道も、ここぞとばかりに原発マネーの背景を追求することに集中し、野党も国会追及の第一テーマに、この関電役員の参考人招致を求めていたはずだ。その矢先に、台風19号の上陸があり、それ以降のマスコミ報道は台風被害とその対応一色となり、必然的に国会論議も台風被害関連が中心になった。
また、続いて天皇の即位の礼の祝賀報道が集中し、マスコミ報道は皇室の方に集中。その後は、わずか1カ月余で主要閣僚の菅原一秀経済産業相が金品配布疑惑で辞任するという報道に移行し、関電関連のニュースは背後に退くことになり、国民の関心も薄れる方向となったが、水面下では、福井県高浜町元助役の森山栄治氏(以下、森山氏という)が、関西電力に対してあれほど力を持ち続けた源泉は何なのか、その背景には同和問題が介在しているのか。まだ興味津々という段階のようだ。

10月7日に部落解放同盟中央本部の見解が公表されている。その見解を受けて、幾つかのマスコミやジャーナリストが、意見を述べている。
「いま、多くのマスコミや国民は、関電側の思惑どおりに森山氏の“キャラクター”へ飛びついて『関電被害者論』の片棒を担いでしまっている。とりわけひどいのがネットだ。森山元助役の『恫喝』や『暴言』の数々が報じられるなか、ネット上では『この問題は同和利権絡み』『関電が怯えていたのは同和の圧力だ』なる話が流れ出した。つまり一種の『同和圧力説』だが、これは、明らかに問題の本質を取り違えているとしか言いようがない。」といった意見や「森山氏が解放同盟の役職に就いていたことをもって、森山氏に非があり、関電は被害者であると短絡的に結び付ける発想そのものが、差別の構造そのものだ。」との感想も示されている。

度々話題となる森山氏の人物像を関電は、「些細なことで急に怒り出し、長時間にわたって叱責・激昂することが多々あるなど、感情の起伏が大きく対応が非常に難しい人物である」としており、良好な関係を構築・維持するためには森山氏の機嫌を損ねることがないよう最大限の待遇が求められた結果、3億を超える巨額な金品を受け取るまでの関係になってしまったと報告されている。

これ以上、関電問題で部落差別が拡散することがないように関係者に求めたいのは、その特異さがどこにあるのかを明らかにすることではないかと思うのである。
普通の人とは違う異質な人物として君臨したとされる森山氏の背景には、一体何が内在したのかを明らかにする必要が関係者に求められており、そのことを明確にしなければ第二第三の森山氏を産んでしまうのではないかと思うのである。
つまり、被差別部落の出身者という出自が関係し、差別意識が負の連鎖として関電側の過度な忖度につながったのか。それとも単なる叱責・激昂という恐怖心が負の連鎖として関電側に存在したからこそあそこまでの蜜月な関係に至ったのか。いいやそうではなく、関電の持つ官僚的な体質が前例踏襲を続けさせ、それが暗黙のルールとなり、負の連鎖としての事なかれ主義として貫かれたのか。
それともこうした3つの背景すべてが関連しながら、森山氏という巨大な原発マネーのモンスター的人物をつくりあげてしまったのか。膿を出し切るためには、ここが焦点ではないだろうか。

亡くなっている森山氏に“死人に口なし”とばかりに責任転嫁するだけで関電問題が葬り去られることのないよう関係者には求めたいと思っている。手渡された金品は常識はずれの金額のものであり、その返還についても幾度となく繰り返されてきたようではある。しかし、リスク判断として穏便に受け取ることを選び、それがいつしか前例を踏襲するということとなり、結果として3億を超える金額にまで膨れあがったのではないか。関電関係者にもこうした事態を憂えている多くの仲間がいることを決してわたしたちは忘れない。だからこそ事なかれ主義ともいうべき会社の体質こそ膿を出しきってほしいと思う。