Vol.134 負のイメージ払拭する地域発のとりくみを

「社会の空気が変わったのはいつ頃」からなのか・・・最近よくそう思うことがある。

大阪府の松井知事との政策懇談会でのこちらからの要望は、「部落差別解消推進法」成立にあたり、府として基本方針や基本的な方向を検討してはどうかという中身だった。それに対して、松井知事は、「部落問題オンリーの基本方針や計画策定の意志はなく、人権行政基本方針全体の状況から判断したい」との返答だった。改めて考えると至極当然の回答ではあると思うが・・・

また、ある自治体の比較的リベラルだと言われている首長も隣保館条例を廃止して、既存施設の有効活用に転じたいとの方向で検討しているとの情報がある。行政職員が、他の公的施設に比べても群を抜いて多いことから見直しの対象になったことは理解する。しかし公設置公営型から公設置民営による隣保館運営という手法が考えられて良いはずにもかかわらず、隣保館条例は廃止して、同和行政から撤退することを通じて施設の有効活用に転じる方向が検討されているという・・・いわば“同和”そのものを行政施策から一掃させようという空気を感じてならないのである。

松井知事の言うとおり、同和問題の解決に向けて、人権行政全般の課題として受け止め、全体の方針の中に位置づけるという考え方を否定するものではない。しかし、知事の表現は、同和という特別の世界については、まさに終結であり、できる限り“同和”は縮小、自然消滅という方向に持って行きたいという空気感を感じてしまうのである。

同和に限った特別措置法は、異質な行政施策として行政内部で位置付いてきたのだろうか。市民社会の空気とはまったく違う同和行政を大阪では実施されてきたのだろうか。こうまでして同和を嫌う理由はどこにあるのか。部落の側にもその責任の一端があることを否定するものではないが、手のひらを返したように“同和行政”や“同和教育”から撤退していく行政の態度は、異常としか言い様がないほど、根が深い問題なのだろうか。

2000年代に入ってからのあいつぐ不祥事により、同和というイメージがエセ行為=犯罪を思わせる行為として市民の目に映ったことは周知の事実ではあるだろうが、それにしても現在もなおそのイメージで“同和問題”をとらえる人が多いことに驚きを禁じ得ないのはわたしだけか。「できる限り同和という言葉は」・・・「当事者である支部の役員さんを審議会の委員にするにはちょっと」・・・といった具合に同和外しが後を絶たない。

あいつぐ不祥事、長年にわたった“特別の時代”というツケは、思っている以上に深刻にボディーブローのように効いている。同和問題が関西における闇の分野、アンタッチャブルの世界であるかのような描かれ方によって、「恐い」「近寄りがたい」といった負のイメージを植えつけさせ、それに悪乗りする行政という構図が、大阪では岩盤のように強固にできあがっているとさえ思える今日この頃である。

こうした重苦しい空気を変えるためには、被差別部落の各地でとりくまれている実践の力で跳ね返していくしか方法はないだろうと思う。自分の生活を変えるためにも周辺も含め貧困や社会的排除といった課題をそれぞれの地域(周辺も含めた)で、ひとつでもふたつでも課題を見つけてとりくんでいくことだ。府連は、エコーポイント制度の導入やエンディングノートの活動を呼びかけ、ひとり暮らしでこの世を去って逝く最後に、「このまちで最後を迎えられて良かった」を思える地域にしたいと思う。

もっと言えば、その周辺の人たちをもそう思ってもらえるよう活動の領域を広げたいと思っている。「部落に生まれ育ったことを卑下するのではなく」という運動から、「被差別部落の近くで生まれ、育ち本当に良かった」と周辺の人たちから言われるようなひととまちにやさしい部落解放運動にとりくんでいこうではないか。信頼回復のためには、今を生きる者としての責任を果たすことでしか市民から共感を寄せてもらうことはできないということを改めて強く思う。

わたしたちがこれからの部落解放運動を創っていくのであり、信頼回復のためには、おごることなく、謙虚につつましく部落解放運動を実践することだと思う。地域では、周辺の人たちとともにまちづくりにとりくみ、“子ども食堂”や“お年寄りの居場所づくり”など、やさしい実践がはじまりかけている。こんなことの積み重ねでしか、被差別部落に空気のようにイメージづけられた負の側面を改善することはできないのだと思う。

わたしたちの世代で、この重苦しい空気を変えようではないか。