山場を迎えた「市民交流センター」存廃問題 橋下市長は差別撤廃のための方向を示すべきだ 

水平時評 府連書記長 赤井隆史

大阪市の市民交流センターの存廃が、いよいよ大きな山場にさしかかってきている。
市民交流センターとは、市内の同和地区にあった人権文化センター、青少年会館、老人福祉センターという3つの公的施設を集約・統合した施設を指している。

そもそも市民交流センターの前身は、解放会館と呼ばれ、全国的には、隣保館として900館近い施設が運営されている。貧困・教育・差別・環境問題などにより世間一般と比較して劣悪な問題を抱えるとされる地域(同和地区など)において、その対策を講ずる事の出来る専門知識(教育学や法律に関する知識・社会福祉援助技術など)を持つ者が常駐し、地域住人に対して適切な援助を行う社会福祉施設のことを言う。隣保事業はセツルメント(settlement)とも呼称されている。

この隣保機能を有する市民交流センターが、橋下大阪市長から提案された「市政改革プラン」で財政面からの見直し対象となり、「条例」を廃止して、研修の部屋などのみに限定した貸し館にするという方向が示されており、現在開かれている大阪市議会で存廃を決する重大な局面を迎えている。

橋下大阪市長の意見はこうだ。

「たしかに現在においても部落差別は存在している。しかし、部落差別をなくそうとするための施設や事業が、同和地区の中でのみ実施されていることに反対である。だから、いったんリセット(廃止)する」。

わたしは、橋下市長が主張する「同和地区内完遂型の同和行政はダメだ」という考え方に一部ではあるが、“なるほど”と思っている。これからの時代、差別は両側から超えるべきものであり、一方的に被差別部落の側のみを対象とした事業だけでは差別を根絶できないとも思っている。しかし、橋下市長に聞きたい。「じゃあ市長として今もあると認識している部落差別をどのようになくすのか。その方向と方針を示すべきではないか」と。無責任に「予算が多すぎるから廃止」だけではあまりにも説明不足ではないか。

いみじくも松井大阪府知事は、わたしたちとの政策懇談の席上、「橋下大阪市長ほど人権侵害を受けている人間はいない」と言い放った。差別や人権侵害に一番敏感に反応しているのが、橋下大阪市長だというのである。確かに一連の週刊誌報道などにより、橋下市長が差別の対象者となり、人権侵害を受けている当事者であることは言うまでもない。

だからこそ、部落差別の存在を認めながらその課題を撤廃する方法論や方針を一切示さない首長としての態度には疑問を持たざるを得ない。行政サイドで取り組まなければならないのは、行政責任による部落差別撤廃行政の推進である。

「橋下市長、私たちとの話し合いに応じるべきである。そして、差別撤廃・根絶のための行政施策を示すべきである」と私たちは繰り返し求めてきたが、それに応じることも方向を示すも一切なく、一方的な市民交流センター条例の廃止は間違っている。方針を撤回すべきである。

同和地区には今、深刻な生活苦と社会的排除が浸食してきている現実がある(水平時評9月30日参照)。危険信号が点滅してきているいま、リーダーシップを発揮し、この現状をどう打開し、克服していくのかの方向を示すことこそが橋下市長のやるべきことではないのか。施設の有効活用と大阪市における部落差別撤廃の行政施策という、あえて“二兎を追う”くらいのダイナミックな行政手腕が求められているのではないのか。

大阪維新の会と他の政党との“政争の具”に市民交流センターが巻き込まれてはならない。未来の改革という目標に、市民交流センターが不具合であり、必要なしというのであれば、それはそれで議論すればいいし、同和行政の延長というイメージだけで、“一度、リセット(廃止)”と言うのではあれば、それこそおおいに議論したいと思っている。

結局、大阪市や橋下市長はなにをしたいのだろうか。理事者は、トップが聞き入れてくれないからの一点張りだ。身を切る改革と行政依存から脱却した「“新たな公共”を市民交流センターの改革案として提案しろ」と言うのではあれば、改革競争に参画したいと思っている。いずれにせよ、昔の同和行政のイメージのなかだけで、市民交流センターの存廃を決めようとしていませんか。橋下さん!