Vol.267 雑誌『部落解放』の特集「部落問題と向き合う若者たち」から考える

1969年から33年間続いた同和地区に対する特別措置という法律の時代が2002年に終了し、早いもので22年が経過した。つまり、同和対策をまったく経験しない青年が22歳という年齢ということとなる。

雑誌「部落解放」12月号で、「部落問題と向きあう若者たち」という題名で特集が組まれ、そこで、何人かの青年がインタビューに答えている。そこで、ある意味衝撃を受けた言葉が以下に続くのである。

「そういう意味では、自分が部落民であるという自覚がほとんどない状態で今まで生きてきて、知ったからといっていきなり部落民として熱心に取り組むのは違うという気がしています。でも、自分が生まれた地区が、過去にどうだったのか、歴史や正しい知識が必要な時もあって、とくに今はインターネットで雑に知ってしまうことが問題になっています。だから地域の正しい歴史や知識を持っているお医者さんのような役割が必要だと思っています。それを若い人が語ることは、同じ年代の人にとってはすごく意味のあることで、青年部で学んだ最前線の人権問題を同世代に伝えることが大切だと思っています」

と“部落民であるという自覚がほとんどない状態”という衝撃的な言葉で始まり、つぎに

「私は部落に生まれ育ったという自覚がありませんし、ましてや差別的なことを言われた経験もないので、部落民というのは自分の属性とは違うと考えています。客観的にと言いましたが、部落差別を見てもあまり怒りが湧かない自分もいて、それでいいのかという葛藤もあります。社会的にいう部落民アイデンティティと自分とが重ならないのがその原因になっています。怒りや被差別体験もないのに、部落民と自称していいのかという苦しさ、息づまる感じがあります。当事者意識が薄い自分が前に出て、部落民の代表として語っていいのかという違和感です」

と部落民アイデンティティと自分が重ならないと心で葛藤している自分がいると証言している。

水平社結成から102年。それまでにも融和運動や部落改善運動など地域で主体的に部落解放運動がとりくまれてきたことは言うまでもない事実である。つまりは、100年以上差別撤廃と人権確立に向けた部落解放運動が展開されてきたのである。こうした長きにわたる部落解放運動は、部落差別の厳しい現実を幾らかは見えにくく縮小させ、表面上は、部落差別はわかりにくい差別へと変貌させてきたことは、先達らの努力と多くの関係者による部落解放運動への協力があって実現してきた過程である。

33年間続いた同和対策の特別立法により、被差別部落は大きく様変わりし、貧困世帯がいまなお集住する地域とは言え、50年前60年前の差別と貧乏による劣悪な住環境という姿は大きく変貌した。 そうした成果は、若いひとたちの考え方を大きく変えることとなり、「差別的なことを言われた経験もないので、部落民というのは自分の属性とは違う」という考え方を持つようにまで、ムラが変わり、ひとが変わり、運動が変わってきたのだと思う。

“部落解放運動発展の途上から見えてきた矛盾”が、若者の部落観に変化をもたらしているのではないだろうか。ある意味青年の感想は、運動の成功をもたらしている感想であり、奈良県連さんなら被差別側と加差別側との両側から越えようとする壁が、少しずつ低くなってきている証左であると言うだろう。 「当事者意識が薄い自分が前に出て、部落民の代表として語っていいのかという違和感」を持っていると正直に真正面から自分の現在の立ち位置を俯瞰して見ている意見である。

わたしの子どもを見ていてもまさしく同感である。親がこんな仕事をしているから自分が部落民であることを引き受けはするが、進んで解放運動に参加することはしない。そして、まさに部落民アイデンティティと自分とが重ならないという感想を持ち続けている。「部落差別を見てもあまり怒りが湧かない」とは、本当に正直な感想だろう。

しかし、同時にヒントも隠されている。「地域の正しい歴史や知識を持っているお医者さんのような役割が必要」だと強調されている。つまり、被差別部落を真ん中に置いた地域共生社会実現のためのお医者さんならやってみたいと捉えればどうか。「最前線で学んだ人権問題を同世代に伝えることが大切である」との意見は、今後の部落解放同盟組織のありようを展望する重要な指摘である。

縁あって被差別部落で産声を上げたのだ。縁あって被差別部落という地域に出会いたまたま運動に参加し、世直しひと直しにとりくむ。そんな地域での経験交流を2024年は大いに語り合いたいものだ。