Vol.259 「部落観が変わる」組織と運動へ 慶応高校の優勝から考える

「野球観が変わった」「新時代の幕開けだ」と言われているのが、甲子園で熱戦が繰り広げられた高校野球への讃美だ。

夏の甲子園決勝は慶応義塾高校と仙台育英高校との対戦となったが、慶応高校の優勝で幕が降りた。とくに今回の甲子園で注目されたのが、「さらさらヘアー」と「美白」、さらには「エンジョイ野球」という昭和型の統率野球から自主性尊重の自由野球への転換という意味で、“新時代到来”と新しい時代への移行として象徴的に取り上げられている。

「高校球児は坊主頭であるべき」みたいな過去から続く風潮があり、古い慣習という感は否めなかったが、そうした古い慣習を壊して自由なスタイルを貫いた慶応高校が優勝したということは、文字通り新時代の幕開けを意味するのかも知れない。

優勝した慶応高校の森林監督は、「もともと慶応高校に丸刈りの伝統がなく、選手と指導者の対等な関係が根付いている」と説明され、注目された慶応のスタイルについては、「野球をやる楽しさ、喜び、みんな野球を始めたころは楽しくてしょうがなくてやってたと思うんです。どうしても勝ち負けがつきまとうと、勝たなきゃとか打たなきゃがついてきて、野球やるのが辛そうになってきちゃう。もう一回野球をやる喜びを感じながら表現できるように、良い顔して野球やろうとやってきました。それの方がパフォーマンスも発揮できるという思いでやってきて、こういった形にできて、世の中にメッセージを発信できたのかなと思います」と優勝後のインタビューで語っている。

さらには、「うちは髪の毛のこととか、練習時間の短さ、選手と監督の関係とかでいろんなご意見いただくこともあるけど、信念を貫いてきて、こういう高校野球の形もあるぞと。そのためにも優勝して示すことが一番カッコいいんだぞと言ってきて、選手もだから優勝したいと言ってきた。みなさまに感じてもらえるものがあれば嬉しいです」と振り返っている。

Z世代といわれている年代への指導方法という単なる階層分化でこの問題は捉えるべきものではなく、新たな時代の到来は、また自由への飽くなき探究を意味していると解釈すべきだと思っている。

つまりは、「エンジョイベースボール」との理念は、「常識を覆す」ことにあるらしい。高校野球をめぐる固定観念を変えようと挑み続けた結果だと。それは、丸刈り、威圧的な上下関係、監督による厳格な管理、苦痛な表情。慶応は高校野球をイメージする「慣習」に異を唱え、一線を画してきたと言うのである。

プレーに支障がない限り髪形は自由。後輩が先輩の名前を君付けで呼ぼうと、敬意があればOKらしい。個人練習を重視して選手自らがめざすフォームを追求し、監督らと議論を繰り返す。試合中はピンチのときこそ笑顔を見せるというのである。

昭和野球の経験者であるわたしからすれば、まったく考えられない“野球部”であり、1年先輩には絶対服従であり、2年先輩はそれこそ”神”である。監督に対しては、そうそう喋りかける事が出来るような存在ではなく、絶対敬語の対象だ。練習中に白い歯を見せれば、何をニヤニヤと往復ビンタのオンパレードで、朝の登校も練習帰りの帰路も先輩の姿が見えなくなるまで、走ってその場から退散せねばならぬというのが、それこそ昭和野球の代名詞である。

“集合”という合図が先輩からかけられれば、「おまえらたるんでる」「チンタラしてる」と罵声が浴びせられ、先輩から鉄拳制裁の雨あられ(暴露しても40年以上経過するので・・・(汗))である。

対戦相手に対しては、必ずメンチを切る(関西弁の表現で睨みつけること)ことが義務づけられていたし、相手チームの選手をリスペクトするなど、もっての他という時代である。

それが各学校でのある意味格式であり、伝統(間違っているが・・・)という風習と慣習の一場面である。それが、野球部やラクビー部などの体育会系クラブにはつきまとっていたある意味“常識”であり、それが新たな時代として常識を覆そうとしているのだ。

世界陸上では、すべての選手が肌の色と関係なく、タトゥーも含めカラフルな装いや髪の毛の色もそれこそ自由で、カラフルな出で立ちが目立っている。

わが組織も100年という歴史と伝統が逆に自由を遠のかせ、大会討議も機関のあり様も変化のないまま旧態依然たる振る舞いである。組織の名称もトップダウンの役員構成も「常識を覆す」どころか、変化のないまま今日に至っている。「部落観が変わった」という組織と運動へ改革断行で、新時代を到来させなければならない。自分への戒めでもある。