Vol.231 ツイッター社の「ゼロ回答」と日本の「ムラ社会」 差別を禁止する法整備が急務

 

昨年5月にツイッター(Twitter)に小豆島(しょうどしま)の被差別部落の識別情報が投稿された事案に関し、土庄町(とのしょうちょう)は岡野能之町長名でツイッタージャパン社に対し、プロバイダやサイト管理者の利用規約等の「禁止事項」や、法務省の依命通知に該当する行為であるという見解を通知し、早急に削除を求める要請をおこない、それに対するツイッター(Twitter)社からの回答が土庄町に寄せられた。

回答書は、結論から言えば、ユーザーの「表現の自由」を尊重します、という内容のもので、ツイッター(Twitter)社は「公共の場における会話に寄与すること」を目的としており、「さまざまな考えを自由に表現できる公のコミュニケーションの場を設けること」を役割と認識しており、削除要請には応じかねるという回答となっている。

また、法務省の依命通知についても「インターネット上の同和地区に関する識別情報の摘示事案の立件及び処理について(依命通知)に基づきなされたものですが、通知は、地方法務局等の行政機関に対するものであり、当社のようなプラットフォーマーに対する通知ではありませんし、そもそも法令ではありませんので、当社のようなプラットフォーマーに何らの法的義務を課すものでもありません。従いまして、本件要請はあくまでも任意の削除を『要請』するものであり、当社には本件要請に応じる法的義務はないものと考えております。本件要請が法的義務を伴うものでない以上、当社としては、既に述べた当社の『公のコミュニケーションの場』としての役割及びユーザーの表現の自由の尊重の観点からも、本件要請に応じることはできません」とするほぼゼロ回答という回答内容が土庄町に送られてきたことになる。

広い意味でのソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) のひとつの巨大企業であるツイッター(Twitter)社が、「表現の自由」を尊重し、同和地区がアウティングされ世の中にさらされているという現実に対しても法的な削除決定でない以上は、削除要請には応じられないとするプロバイダの一般的な考え方を回答としてきたことを意味しており、やはり差別や人権侵害を法的に禁止をする法律がこの日本においても必要になってきているという証左でもあり、ネット規制の問題が喫緊の課題であることを物語っている。

コロナ禍によるマスクの着用義務をめぐっても、海外のほとんどのケースは、法律による着用義務によって、装着する、しないが徹底されており、着用解除となった途端すべてのひとびとがマスクを外しているという光景が、テレビや新聞で映し出されている。つまり、外資系企業の場合、法律の存否が決定的に重要な判断基準であり、差別と人権侵害について法律で禁止されていない日本においては、当然のことのように「表現の自由」が尊重され、差別がネット上に野放図に放置されている現状だと言える。 

日本におけるマスクの着用義務もあくまでお願いの域を出ていないものであり、ここに来て外を歩く場合、ひととの距離が一定保たれている場合は、マスクを外しても良いとする考え方が、政府から示されているものの“自分だけは外せない”とか、“周りの目が”といって、同調圧力的な暗黙のうちの強制という空気が広がっていると言わざるを得ない。こうした日本特有の空気を読む文化や村社会といった状況が、義務でなくても一種の“群れを成す気質”としてマスク社会が成り立っているのではないだろうか。

自分たちの生活様式やルールを法律に求めるという事の大事さも重要ではあるが、日本特有の空気を読む文化や村社会を形成してきた歴史において、つねに差別や分断がその地域の支配や階層などをつくりあげてきた差別の負の歴史であることもわたしたちは教訓としていくことが重要である。橋を渡ることさえできない部落の子どもたち。村の祭りなどの行事に参加できない被差別部落の人々。釣り銭を手で受けとることをせず、ザルで受けとられる部落のひとたちなど、群れをなすためには地域の序列が必要であり、地域における一定の秩序を維持するために部落差別を維持し、存在させることの必要性があったことが見抜くべき歴史の教訓である。

ツイッター(Twitter)社が、すぐにでも差別的な書き込みや表現を削除させるための法的整備が喫緊の課題であることはいうまでもない。と同時に、部落差別が日本の地域社会や村社会の秩序を維持するために存在し、差別される対象として排除されてきた歴史もまた総括されなければならない課題でもある。