Vol.216 大阪の政治地図は維新一色の様相

 

「よもやよもや」-辻元さんまで敗北するとは・・・みんなが抱いた感想だろう。
10月31日投開票の衆議院選挙は、全国的には立憲民主党が議席数を減らし、自民党が少し減らしたものの絶対安定多数を確保。維新が4倍増の41議席を獲得した。

とくに大阪においては顕著で、公明党が擁立している4選挙区をのぞく15の選挙区で、維新候補がすべて勝利するという圧勝となり、近畿の比例区においても自民党を超える議席を獲得し、関西では圧倒的勝利を収めるという結果となった。

立憲民主党は、選挙終盤あたりから共産党との野党共闘を自民をはじめとする保守側から野合と揶揄されはじめ、“立憲共産党”というフレーズで攻撃され、「憲法観が違う党が野合している」「日米安保に対して対立している考え方の立憲と共産が同じ候補を応援している」と批判され、的確な反論もないまま比例票を大幅に減少させるという結果となった。その責任をとって枝野代表・福山幹事長が責任をとり辞意を表明するという事となった。

自民党の岸田総裁が、「新しい資本主義」と訴え、抽象的なフワッとした“改革”を提案し、何となく自民党が変わるというイメージを先行させ、“安定的な自民党に支持を”との訴えは、それなりに成果を示したようである。選挙前の自民党総裁候補による訴えでも野田聖子さんの主張などはもはや立憲民主党と疑うような政策であり、党の違いがきわめて低いと有権者に理解させたのもそれなりの演出効果をもたらしたのではないだろうか。党としてのわかりやすい違いがない以上、与党ばかりを徹底的に批判する立憲への期待は薄れ、何も変わらないが、自民党で現状維持という選択を有権者は選んだのだろう。

しかも選挙終盤には、枝野さんが「一億総中流社会の実現」と言ったものだから、これはもう自民党の土俵と同じ舞台で闘うこととなり、新しい支持を獲得するには至らなかった。そもそも立憲民主党は、100議席(前回の議席数)を超える議員数の党であり、共産党と共闘するというウインウインの関係そのものが成り立たない議席の違いが存在する。つまり、立憲民主党としての国家観を打ち出し、この政策考え方に共鳴する野党こそ、“この指止まれ”と訴え、立憲民主党を中心とする野党による連携という選挙構図をつくれなかったことが、野党共闘、立憲共産党と揶揄される事態を招いたのではないだろうか。野党第一党としての振る舞いが出来なかったことが、30ぐらいの選挙区で、自民党との熾烈な一騎打ちを勝ち抜くというもう一歩の踏み込みが弱かったことが敗因だと思う。

維新の会だけは、自民党の土俵にのらず“身を切る改革”だけを訴え、バラマキ予算より、国会議員数削減、歳費削減と主張し、「大阪ではそれを実証してきた証しがある」と訴え、ひとり勝ちという結果となった。「大阪のような改革を全国的に」と行政の効率化で無駄を省けばそれなりの財源が確保できると主張、それこそが“改革”であると吉村効果も含め議席数を大幅に伸ばした。

世の中の変化のひとつに、「眞子さまから眞子さん」へという一連の報道の中で、皇族の人権がいかに制限されているのかという事実を目の当たりにするという現実をわたしたちは経験した。婚姻は、両性の合意に基いてのみ成立するという憲法とは、かけ離れたところに皇族の存在があることを知ることとなった。民意は、眞子さんの自分の意志に基づく結婚を祝福するという方向にあったはずだ。本来ならこうした民意を同性婚や夫婦別姓、さらには憲法における皇族の規定にまで踏み込む絶好の機会であったはずであり、その風を受け止める立場にこそ立憲民主党があったのではないのかと悔いが残る。

小室さんへの言われなき誹謗中傷などへはネット規制問題へと波及させることが出来たはずでもあり、SNS上の人権侵害に対する法規制のありようを提案するという具体的なマニフェストが急がれたのではないだろうか。

いずれにせよ衆議院選挙は終了した。大阪における政治地図は、維新一色という様相を呈してきている。来年は、参議院選挙、そして2023年は統一自治体選挙となる。反維新勢力の結集などとは口幅ったいほどの力の差が大阪においては起こってきている。わたしたちの部落解放運動は、生活困窮者やマイノリティ、そして人権政策という分野を射程に入れ、自らの守備範囲を明確にして、政策提言していくというわが陣営らしい立ち振る舞いに徹していくべき時のようだ。