Vol.212 自分事として闘うことができるのか 辛淑玉さんの闘いに思う

 

「なんとも自分が情けない」「ここまでの問題だったのか」と自分なりに反省しきりである。辛淑玉さんの裁判の話しだ。
 9月1日東京地裁において、辛淑玉さんに対して、制作したDHCテレビジョンなどに550万円の支払いと謝罪文の掲載を命じた判決が出された裁判である。

 沖縄の反基地闘争への参加者に対して、「テロリスト」「犯罪者」と揶揄し、反対運動の参加者には「のりこえねっと」から日当が支払われているかのような報道を展開し、さらに反対運動の「黒幕」こそ在日コリアンの辛淑玉氏であると名指しし、「在日韓国・朝鮮人の差別に関して戦ってきた中ではカリスマ。お金がガンガンガンガン集まってくる」「暴力や犯罪行為も厭わない過激な反対運動を煽っている」などと、差別を扇動するような中傷を繰り広げた事件だ。

 辛さんの訴えが認められ勝訴するという判決であり、ヘイト裁判にとっても画期的な判決であることは言うまでもない。しかし、わたしが情けないのはここまでの裁判だという認識がなかった点であり、情報不足も甚だしい限りであるという点だ。辛淑玉さんとは何回か講演の場で一緒になったり、部落解放同盟の各種集会や講座に何回も講演してもらっている間柄だ。このコラムに目をとおしてもらっている方々にも辛淑玉さんといえば、地元の集会や学習会に来てもらった経験をお持ちではないだろうか。

 それが、どうして裁判支援や聞くところによるとあまりにも酷いヘイトが繰り返された事による精神的苦痛で一度日本を離れていたことなど、悔しいが後々知ることになるというお粗末さに、あらためて解放運動の底の浅さやネットワークの狭さに腹立たしささえ感じてしまっている。

 反差別共闘や人権のまちづくりというお題目は方針書やさまざまな資料で再三再四目にしているのに、肝心の差別糾弾という闘いに結集することすら出来ていない現実が存在している。

 「部落問題は部落の出身者で」、「在日コリアンに対する差別は、在日コリアンで」、「障がいを持っているひとに対する不当な対応については、障がいを持ったひとで」、それぞれ当時者による抗議と糾弾が第一義だから当然であるとかたづけてしまう問題なのか。あまりにも他人に冷たい運動ではないのかと忸怩たる思いにさえ抱いてしまう。

 2018年の部落解放全国研究集会の全体講演を李信恵さんにお願いしたことがあった。李信恵さんもヘイトによる名誉毀損を訴えた裁判について、当時の思いや差別への憤り恐怖などについて、語ってもらった。わたしは司会進行をしていたこともあり、当時の講演内容もはっきりと覚えている。

 李さんの講演が終わって、わたしは司会者として、「わたしは解放同盟という組織に属している人間であり、李さんは孤独の中をひとりで闘った当時者だ。本当に辛い裁判を共に闘う同志はいただろうが、大きな組織が後方から支援するというスタイルではなかっただろう。どれほど厳しい裁判かを身を持って体験した李さんや第二第三の李さんが登場してきたときには、全国的に支援できるような体制を確立したい」とまとめのような進行をしたことを今でもはっきりと覚えている。

 だからこそ大阪では、「人種差別撤廃サポート基金」を設立し、人種差別を受けたひとが訴える訴訟費用を基金から捻出しようという取り組みをスタートさせている。財政的な問題で訴訟を断念することのないように、泣き寝入りしないように少しでも役立ててもらおうと設立させたのが、「人種差別撤廃サポート基金」だ。

 こうした取り組みだけでは、差別を受けた当時者自身には届かないというのが、本当のところではないのかと疑問を抱いている。靴の上から足を掻いていると良く言われるが、辛淑玉さんの事をよく知っていると自分は思っていたし、どこかで同志だとも思っていた。しかし、現実は、遠いところで、厳しい闘いを余儀なくされ、命の危険さえ感じるほどの体験をされ、辛い苦しい心が折れそうな時期もあっただろうに。最後まで裁判を闘い抜くという姿を同じ空間で共有してこそ同志であり、仲間であるということが、SNSという時代であるからこそ、リアルで同じ空間で現実に闘うという大事さがいまほど重要な時はないのに、それを離れて“他人事”のように振る舞う自分が情けないと思ってしまう。

 来年は、水平社結成から100年を迎えようとしている。「人の世の冷たさがなんであるかを知っているからこそ」-部落差別だけではなく、あらゆる差別からの解放を求め続けたはずの運動ではあるが、またまだ我田引水の体質は拭えていないようである。差別という現実を前にして共有し、“自分事”として闘うことが出来うるかどうか、あらためて問われている事だと自覚したい。