Vol.177 パンデミックを機に弱者に厳しい社会からの転換を

「オーバーシュート」とは「爆発的感染」。「クラスター」は「集団感染」。「アウトブレーク」とは「突発的発生」。「ロックダウン」は「都市封鎖」と呼ぶらしい。耳慣れない新しいカタカナ言葉が毎日のように氾濫している。新型コロナウィルス感染が、全世界で爆発的に広がっている様子を表す言葉として登場してきている。

安倍首相の唐突とも言える突然の全国小中高校の「一斉休校」からスタートし、五輪開催が延期になるやいままで傍観していた小池知事が、これも突然、「東京がロックダウン(都市封鎖)するほどの感染爆発の重大局面だ」と今までの無策を棚上げし、突然、事実上の「緊急事態宣言」とも言える自粛要請を表明した。

内閣不支持の理由で「首相の人格が信頼できない」という項目が断トツでトップなように、安倍首相には危機突破のための結束を呼びかけても国民に耳を傾けて貰えるだけのリッターシップや信頼はもはやなく、小池知事に至っても年明けからコロナ問題は完全に任せきり状態が続いたにもかかわらず、五輪延期が決定するや否や「東京ロックダウン(都市封鎖)」発言とは、東京の知事選挙を意識したパフォーマンスと疑われても仕方ない「やってる感」は否めない事実だ。

しかし、政治のリーダーの本気度はさておき、深刻な事態であることに変わりはない。コロナウィルスの特性のひとつに、無症状でも感染するということが挙げられる。一般論として言われているのは、最低限でだいたい6〜7割の人が感染すれば、「集団免疫」が得られ、その後は普通の感染症になっていくと言われている。裏を返せば、日本の人口1億二千万人として、6割で7200万人以上のひとが、感染し続けるということである。これほどの集団感染を出来る限り長期間でゆっくりとした山にしていくような対策が急務であるとことは言うまでもなく、これが感染爆発という事態にまで至り、医療崩壊を招いてしまうことだけは最も避けなければならない選択である。

やっかいなことは、若いひとほどウィルスに感染していても無症状という状態であり、本人が感染しているという自覚がなく、知らぬ間にウィルスをまき散らしてしまうという危険性を持っているからである。それが多くの疾患を抱えるお年寄りなどに感染すると命をも危険にさらされるという深刻なウィルスである。重症化しないとされる感染者8割が他の人にウイルスを感染させない社会にすることが重要な予防方法である。だからこそ、「外出の自粛要請と、不要不急(日常生活に不可欠な外出以外)の行動」を呼びかけているのである。

今後感染者がさらに増えた場合、感染症指定医療機関に入院するのは人工呼吸器などが必要な重症者に限られ、そこまで症状が重くない感染者は一般の病院に振り分ける事が出来るのか。また、さらに症状が軽い軽症者を、自宅待機や宿泊施設で療養を行うという振り分けが果たして可能なのかどうか市町村の役割が重要な客面を迎えようとしている。

つまりは、死と隣り合わせと言われている2割の感染者の命を優先し、8割の軽症のひとに対する他のひとに感染させないための社会的仕組みがつくれるのかどうかが試金石と言えよう。

今の社会の仕組みが、こういうパンデミックがやって来た時に非常に弱者に厳しい仕組みになっているという現実の抜本的な改革が必要だ。まったく収入が途絶えてしまうような社会の仕組みを考え直していく作り変えていくひとつの機会にするべきであり、これを最近では、「ニューノーマルの時代」と呼ぶそうだ。「ニューノーマルの時代」とは、新しい基準、常識を身に付けないといけないと言われている。まさに、新自由主義・競争主義では人類は生き残れないという警鐘であり、今後さらにグローバルな社会が形成され、地球規模での交流連携が深まれば深まるほど、未知のウイルスとの遭遇が加速され、21世紀は感染症の時代を迎える。パンデミックはこれから幾度も襲って来ると自覚し、その中でどう暮らすか、どのような政治をするか、経済を回すか、模索し対策を講ずる。世界は既にその方向を見据えている。

イギリスで、基礎疾患のない21歳の女性がコロナによる感染症で死亡した。その母親のダイアンさんはフェイスブックにこうつぶやいた。「ウイルスが広がっているのではなく、ひとがウイルスを広めている」と。「取るに足らない感染症」だと決して軽視してはならない。