Vol.165 災害対応をまちづくりの真ん中に

1995年の阪神・淡路大震災から24年。
2011年の3.11東日本大震災から8年。
「想定外」という言葉や「ボランティア」「帰宅難民」など大震災から度々登場するフレーズである。わたしたちはどれほどの尊い命を犠牲にし、こうした大災害に対して防災という視点や復旧・復興に向けた努力を費やしてきたのか。

わたしたちは、多くのことを学びながら学習理解を深めてきたのではないのか。こうした努力を一笑に付すかのように、千葉県内の台風15号による被害は、日が経つに連れて被害拡大の様相を呈してきている
19日付の東京新聞では、「屋根損壊などの住宅被害が、少なくとも2万戸を超える見通しであることが県や市町村への取材で分かった。県が同日夕に発表した被害数は計約4千戸にとどまっており、県の担当者は『停電や避難者対応で被災自治体の調査が進んでおらず、今後大幅に増える可能性が高い』としている」と報じている。

もちろん台風被害は天災である。誰のせいでもないだろう。しかし、9月9日に発生した台風15号が日本列島を縦断している最中、10日から12日にかけてマスコミがこぞって報じたのが安倍政権による内閣改造だ。党と内閣の人事改造にテレビ・新聞は集中し、「進次郎入閣サプライズ」などに浮かれていた。

こうした報道を見た時、思い出されるのが、小渕内閣の時の内閣改造延期という真逆の出来事だ。1999年9月の東海村の臨界事故の際、その対応を優先し組閣を5日間延期している。小渕総理を本部長とする政府対策本部を設置し、政府あげての体制を整え、緊急事態に対応している。まったくと言って良いほどの真逆対応である。当時の野中広務官房長官の判断が優先されたと言われている。

東京電力は、当初「11日中には完全復旧をめざす」と発表。しかし、19日現在も3万7千世帯で停電が続いている。ちょうど1年前に大阪を襲った集中豪雨は、関西圏を中心に電柱が1000本以上も倒れ240万世帯を停電させた台風21号の被害状況などから推測しても、恐らくは地球温暖化による気候変動の影響が大きいのだろう。今までの常識では考えられないような大災害が次々に起きており、さらに首都圏直下型地震や東海・南海トラフ巨大地震などもいつ起きてもおかしくない状況が続く限り、わたしたちの地域や個人レベルでも想像力を拡張させて“想定外を想定する”という生き残り策を講じるという時代に突入したという危機意識を共有させなければならない。

便利すぎるほどの世の中で、携帯が使えない。電波がシャットアウトされている。クーラーが使えない。冷蔵庫がアウト。行政情報が届かない。物資の支給や食料の提供といった情報すべてがシャットアウトされる社会。また、停電で浄水場が操業できずに広域的な断水が起きたり、風はすっかり収まったのに高速道路が何日も閉鎖の状態だそうだ。つまり、電気が停電の状態だとゲートの開閉もETCカードの読み取りが出来ないからだそうだ。わたしたちの生活は、気づいていない以上に、電力系統に頼り切っており、そこがシャットダウンしてしまうと生活の何もかもが思考停止に陥ると言うことを千葉県の台風被害は教えてくれているようだ。

電気系統そのものに生活のすべてを頼らないエネルギーの自給自足、地域挙げて地産地消による食の確保とネットワークによる食の流通などを通じて、個人による自己責任だけで大災害に向き合うという発想ではなく、地域全体で命をつなげていくという発想を持たないと地球温暖化による巨大化する台風や地震への対応はできないところにまで至っているようである。防災・安全という視点で地域の自立化をめざし非常時に備えた準備を怠らないことが重要だろう。

ガソリンで駆動する小型発電機が、地域で何台か確保されていれば、携帯の充電もテレビと冷蔵庫ぐらいには通電できるらしい。また、LEDランプやLEDランタンなどは長期間の停電にも対応できる優れモノだそうだ。

防災マップや個人宅での防災グッズの購入など、地域でとりくむべき災害対応という視点をまちづくりの真ん中に据えないといけない時代が到来したようだ。しかし、台風大国ともいえるこの国で、しかも8月に東京オリパラとは、本当に選手を思っての開催なのだろうか。