Vol.132 15年前と変わらぬ現実 被差別者が声を上げることの意味

2003年3月に徳島海上自衛隊自衛官内の歓送迎会の2次会で次のようなやりとりが交わされた。
場所は、カラオケボックス。たまたま座った席の関係でHさんは、曲を入力する担当となり、廻されてきたメモに従い、曲番号を入力していた。その時、Hさんが入力番号を押し間違え、流れた曲名が、ちあきなおみの「四つのお願い」(相当古い歌のため知っているひとも少ないかも?)という曲で、当然、間違ってかかった曲などで誰も歌うものがなく、Hさんは、「すいません。押し間違ったみたいです」「やり直します」とその場で説明し、すぐに次の曲がかかるというどこにでもあるごく自然なやりとりが行われた。
そこにT氏があらわれ、Hさんにすり寄るように隣の席に来て、「いま、『四つのお願い』をリクエストした奴は誰や」とHさんに聞いてきた。Hさんは、「いやいや番号を押し間違えただけで、誰のリクエストでもないです」と答えた。その時T氏は、「そうやろなぁ。カラオケで『四つのお願い』なんか歌う奴は部落の人間しかおれへんからなあ」と発言。それを聞いていたHさんは、一瞬、血が逆流するのを感じたようだが、気を取り直し、お酒の席でもあるということから、「先輩、そんなこといったらダメですよ」とたしなめ、その場を納めたと報告している。
後日、職場で顔を合わせたふたりだが、T氏の方から、再度、「やっぱりあのカラオケの席には部落の人間が居たのではないか?」と発言。続けて部落というのは、「お金がないから服が汚い」「身分が低い」「常識がない」「嘘をつく」などと差別発言が繰り返される。3度目のT氏の発言に我慢も限界を迎えたHさんが、「貴方がひどいという被差別部落の出身者は、この僕です」とカミングアウト。あっけにとられたT氏は、無言のまま立ち去ったという。結果的には、名誉毀損を争う裁判となり、一定の慰謝料をT氏がHさんに支払うということで和解した事件である。

それから15年の歳月が流れた。しかし、当時とまったく同じような事件が、また報告されてきた。4月の新年度スタートの懇親会の席上の話だそうで、部落の土地に対する誹謗中傷からはじまり、最後は暴力をふるう恐い地域だとする予断とも偏見にあふれた差別発言が繰り返されたようである。
15年が経過してもなお部落差別の現実は厳しい。発言者が、本当に恐い思いをしたのか。暴力を受けたのか。これから明らかにされることとなるだろうが、不確かな情報が予断と偏見によって誇張され、ゆがめられる。こうした不当な差別の一般化ともいえる事態が、一向に改善されていない象徴的な事件だといえよう。

自らが受けた性暴力について語り、連帯する「#MeToo(私も)」とする運動が広がりをみせてきているのはご存知の方も多いだろう。米国ハリウッドに端を発するこの動きに、日本でもハッシュタグ「#MeToo」をつけた主張が増えている。
泣き寝入りを許さない・・・自分で声を上げようという勇気を持った行動が大事なことは言うまでもない。セクハラの被害や部落差別発言に遭遇したときに勇気を持って告発するという一歩を踏み出すための「#MeToo」運動はきわめて大事なとりくみであり、もっともっと広がることを期待したい。
しかし、もっとも大事なことは、「告発しない」「できない」被害者や差別発言に泣き寝入りしてしまっている多くの人々に対して、「悲観しない」「今からでも勇気を持って」「自分は弱く愚かな人間ではない」と思えるような社会的風潮をつくりだすことがもっとも重要な「#MeToo」運動ではないだろうか。

水平社宣言は、それを「エタであることを誇りうれ」と呼びかけ団結を訴えた。この被差別当事者による「#MeToo」運動も96年を数えようとしている。
水平社結成100年を前にして、当事者による差別に対する異議申し立てという運動から、”I Have A Dream”、すなわち私には夢があるという運動、「自分は弱く愚かな人間ではない」「社会から必要とされる人間である」と思えるような人権社会建設へのポジティブなアプローチが、これからの運動に求められていることは言うまでもないことだろう。
差別的な発言や言動に対して、抗議の意志を示すという勇気は大事なことだ。決して泣き寝入りしない「#MeToo」という声を上げ続けることも重要だ。社会から社会的貧困や困窮の状況に陥ってしまった人たちが、声を上げ社会参加していくための「#MeToo」運動も地域を拠点とする部落解放運動の重要なテーマだ。
エコー共済のメニューを豊富化し、居所と出番をつくりだすことによって「#MeToo(私も)」と広がることを期待したい。