Vol.124 フォークに漫才…芸能人の「覚悟」に感じること

少し時間が経つが、フォークシンガーの松山千春さんのトークが話題になったことがある。
コンサートでの一場面だが、語りの所で、松山千春さんが、「今、私達に一番足りないものは覚悟です。こんな理不尽な事が多い世の中、覚悟無しでは生きていけない。男は男としての覚悟、女は女としての覚悟。覚悟して生きていってください」
「我々は、若い者達に間違ったメッセージを送ってきてしまいました。腫れ物にさわるように、それもあり、あれもいいと。これからはっきりと伝えていくべき事は、それは無し、それはダメ」「見返りを求めず、人を愛する人間になりましょう」と語ったそうだ。
続けて、「恋愛にしても、仕事にしても、私がこんだけしたんだから、彼はきっとこうしてくれる。私がここまで捧げたんだから、彼なら絶対こうしてくれる・・・。それは、あなた、見返りを求めているだけでしょう。見返りを求めようとすると、どうしても苦しくなる。周りが信用できなくなる」「俺は、この人生も、なんの見返りも求めることなく、ただ、生きていたい。見返りさえ求めなければ、あなたは、あなたのままで、清らかなままでこの人生を歩いて行くことができる」と自身の人生観を熱く語ったそうだ。

雑誌「部落解放」1月号にフォークシンガーの小室等さんの対談が掲載されていた。
松山さんといい、小室さんといいわたしたちの世代からすれば、それこそ“神ってる”存在であり、若き日の事が思い返されるひとときでもある。
小室さんは、今は歌が社会の大勢に対して「口をつぐもうとしている」、そんな時じゃないですか。と問われ、「そうですね。こんなに世の中が悪くなろうとは、ぼくも考えもしなかった。アメリカのフォーク・ソングが輸入されて、そこにぼくらが飛びついた。政治的な主張や社会的な問題に歌でかかわろうとした時代がありました。ただ、ぼく自身として、政治的な姿勢をうたい込むということすらも、今から振り返れば流行りものとして受け取っていたんじゃないかと思うんです。しっかりと物事を把握していたのか。」と自分自身を振り返っている。
続けて、「長い髪に反体制という態度は、カッコいい、というだけだったんじゃないか。反体制とはいいなりにならないことです。体制がそう、みんながやっているから、という考え方は正しくないんだ」と。また、「少数の意見がちゃんと活かされるのが健全な世の中だろうと思うんです。でも、団塊の世代が企業の戦士になって、あの時代から、どんどん体制の言いなりになっていってしまった。」「ぼくらの責任ですよ」と語られた。

危険な世の中にしてしまった責任と同時に歌さえもダメにしてしまったのは、ぼくらの世代だと率直に語る小室さんの発言。覚悟が足らなかったと自戒する松山さん。
音楽がプロパガンダの道具になることを避けなければならないのは当然ではあるが、しかし音楽としてきちんと伝えるべき使命があることも事実だ。「『世の中、ヘンだよ』という発信は、きっと必要だと思う」と語る小室さんらに、団塊の世代が求め続けた反体制の熱意といまの社会にしてしまった自分たちの責任とが交差している。

疲弊した社会への警鐘といえば、お笑いコンビのウーマンラッシュアワーの漫才だ。非常にスピーディなテンポで進められる掛け合い応酬に、ただただ口をポカーンとあけて感心するばかりだ。こんなやりとりの漫才である。

村本「現在日本が抱えている問題は」
中川「被災地の復興問題」
村本「あとは」
中川「原発問題」
村本「あとは」
中川「沖縄の基地問題」
村本「あとは」
中川「北朝鮮のミサイル問題」
村本「でも結局ニュースになっているのは」
中川「議員の暴言」、村本「あとは」、中川「議員の不倫」
村本「あとは」
中川「芸能人の不倫」
村本「それはほんとうに大事なニュースか」
中川「いや表面的な問題」
村本「でもなぜそれがニュースになる」
中川「数字が取れるから」
村本「なぜ数字が取れる」
中川「それを見たい人がたくさんいるから」
村本「だからほんとうに危機を感じないといけないのは」
中川「被災地の問題よりも」
村本「原発問題よりも」
中川「基地の問題よりも」
村本「北朝鮮問題よりも」
中川「国民の意識の低さ」

とまで言い切る漫才だ。

こうした政治批判を、ネタにして披露するという新しいスタイルの漫才である。とくに村本大輔さんへの風当たりは強いようで、ネット上ではフクロ叩きだ。ツイッターではこんな誹謗中傷が溢れかえっている。「テメェの無知を国民や政治のせいにするな。テメェがアホなだけやろが」「ウーマン村本、ただのバカならまだしも、日本にとって害になってきましたね」「売国奴村本は日本人としての資格がないから、国外追放か死ねばいい」「この人左翼からも若干嫌われとるよね。多分日本人やないよ」などなど、ネット社会の嫌らしさが如実に現れた光景だ。
体制のいいなりにはならない。間違っていることはきちんと主張する。当たり前ではあるが、あらためて肝に銘じる必要があるようだ。そのためには、真正面を向いた“覚悟”が求められる。