Vol.111 地縁、血縁を超えた新しい「縁」づくりを

貧困と社会的排除が進行するまち“西成区”北西部で、少し以前にはなるが、高齢男性の孤独死が木造アパートで発見された。

とある深夜、アパートの住民が変なモノが上から垂れてきたことに気づき、跳び起きたというのだ。警察が駆けつけ、その男性の上の階に住む高齢者の男性が孤独死を遂げていたことが発覚。上から垂れてきたモノ、それは、死んだ男性の体液であった。遺体はそのまま放置され続けると腐乱して溶け、体の組織が液状化して垂れてきたモノだそうである。

ひとり暮らし世帯は、4割を超えるというデーターが紹介されている。高齢化社会。孤立する社会。その典型例のような出来事が起こったことになる。

こうした身寄りのない孤立した状況で亡くなられた人に対しては、遺品整理業や特殊清掃業という業者さん達が受け持つこととなるらしい。また、軽度の認知症などが原因でゴミ屋敷化した部屋などの清掃業務なども対象となり、いまや成長産業といわれるまでになっていると聞く。

孤独死でだれにも気づかれずに放置されると、真夏なら1〜2日放置しただけでも腐敗が進み、特殊清掃となるらしい。冬だと一週間程度だと言われているらしい。一般的には、特殊清掃の費用は70万円以上だと言われており、さらに染みついた死臭を除去する作業には追加の料金が発生するとネットなどで紹介されている。費用もさることながら死臭を除去する作業には特殊清掃の技術を持った業者の必要性と相当の労力を要すると紹介されていた。

「たぶん、ほかの臭いというのは耐えようがあるのですが、あの臭いに関してはたとえようがないですね」と特殊清掃業務員の方が語っている。

西成区でもこうした多くの木造住宅がひしめき合い、そこにひとり暮らしの高齢者が孤立したかたちで生活を送り、最期は誰にも看取られることなく亡くなっていく人が後を絶たない。孤立させないために“つながり”をつくり、まちの“助け合い”や共同浴場の入浴券を暮らし組合を通じた共済事業などを発案し、展開してきた地元のさまざまな努力があるものの、こうした現状を打破するという所にまで至っていないという現実がそこに横たわっている。

また、こうした特殊清掃にいたった場合の料金の支払いをめぐって、右往左往しているという例が少なくないと聞く。本来は、そのアパートを借りたときの保証人、または相続人に支払う義務が生じるとのことではあるが、保証人がいないケースや他界していたり、相続人が相続放棄をしていたり、さらには、身寄りがはっきりしないため親族への連絡がとれないケースなどが生じた場合、結局は大家さんにしわ寄せが行くケースが多いのだという。

「その地で生活し、その地で死んでいく」。当たり前のようなことではあるが、それが難しい現実が横たわっているのも事実のようだ。生まれながらににんげんは等しく生活する権利を要しているにも関わらず、亡くなったときには誰にも発見されず、ましてやお葬式さえ参列するひともなく、ひっそりと亡くなっていくという現実は、平等な社会と言えるのであろうか。

地縁、血縁というひとのつながりが、現代社会においては希薄化していると言われている。地縁とは「住む土地に基づく縁故関係」であり、集落という限られた空間の中に住む人の人間関係だと説明してされている。地縁組織という場合、自治会、婦人会、町内会が思い浮かぶ。血縁とは、「血すじをひく親族」であり、親戚を指している。地域の人や文化、あらゆる地域資源を循環させることを通じて、ひととひとをつなぎ合わしていく「志縁」という考え方が、これからの市民活動のポイントではないだろうか。

コミュニティビジネスのさまざまな場面において、サポートすることもされることも固定的な役割ではなく、めぐりめぐってさまざまなひとが協力し合う“志縁”ネットワークを構築するという市民活動が重要視されて来ているようだ。