Vol.109 奨学金裁判で不当判決 制度の理念は決して間違っていない

2002年3月、33年間継続された一連の同和対策の立法が終了した。

この2002年の時点で、すでに高校・大学の奨学金の返還期間に入っていた1356人に対して、大阪市は2010年に新たな条例を制定し、「返還免除」との決定を下した。しかし、一方で、まだ奨学金を受給中だった186人に対しては、「今後返還を求めていく」と異なる対応を一方的に決定し、返還通知が大阪市から郵送されるという理不尽な対応がとられた。市の方針転換を不服とした当時の奨学金を受けていた17人が、支払いを拒否。大阪市が裁判に訴えるという暴挙に出た。

この判決が5月26日大阪地裁で下された。判決は返還を拒否した17人に対して、大阪地裁が全額返還とさらには、遅延利息分も含め支払いを命じるという理不尽なものである。「実質給付」との大阪市の約束を反故にする不当判決であり、17人全員が控訴するという方向だ。

判決後、被告となった女性(37)は、「何百万返せっていう話になって・・・。そんなお金ありませんし、本当に冷たい判決だと感じています」と話した(朝日新聞)。
37歳の男性は、「判決を聞いて言葉を失った。この奨学金のおかげで自分の将来が広がったことは間違いないが、後で決めた条件で返還を求めるのはおかしい。あまりにも理不尽だ」。
訴えられていた女性は、「当時は返さなくていいと言ったのに、今になって何百万円も求められても払えない。家庭でも職場でも被差別部落の出身と明かしていないのに、巨額の返済を求められたら、差別が残る中で何を言われるか分からないという恐怖感もある」(NHK)。

わたしは、昨今の大阪の被差別部落の現状は、高齢化・孤立化・貧困化とともに、“空洞化”していると訴えている。この奨学金の裁判こそ“空洞化”という言葉が当てはまる出来事だと思っている。
1969年以降大阪の被差別部落の地域は特別措置法により、様変わりすることとなり、劣悪な環境は改善され、個人給付事業や隣保館をはじめとする公共施設が部落の中に建設され、まちは変貌し、進学率は向上し、大きく改善された。
そして、高校・大学への進学は、部落全体の悲願でもあり、教育権を保障し、大学まで進学できるというチャンスの到来は、部落の若者達に勇気と希望を与えた。奨学資金制度は「将来への希望あふれる」制度して活用されてきたのである。

被差別部落に生まれ、育ち高校・大学へと進学していくプロセスに“人材養成奨励”という事業を提案し、“社会に貢献する有利な人材”であれば、返還を免除するという内規を確立し、「実質給付」を確保するという要綱を当時の大阪市と確認してきたにもかかわらず、裁判長は、「受給者が返還しなくていいと考えたとしても、何ら不合理ではない」とし「返還を免除するには議会の議決が必要であり、内規は無効だ」と結論づけた。

当時の国が奨学金は貸与化との決定を下したことに対して、地方自治と解放運動側とが知恵を出し合い、将来有望な人材を奨励することを通じて返還を免除するという新たな制度を地方自治の段階でつくりあげたのではなかったのか。
当時の制度の意味を理解するどころか、議会の議決を経ていないため無効であると門前払いした裁判所の態度も問題ではあるが、大阪市の行政として当時、解放会館や本庁などで勤務にあたった市職員の方々の仕事そのものが否定されている現実に対して、胸に穴が開いたような空虚感・虚脱感といった感覚にさいなまれないのであろうか。

運動側の“空洞化”とは、文字通りそうした虚しい感じの表現であり、当時の運動の否定でもあり、青春時代の否定であり、当時の知恵を絞った判断が全否定されているような喪失感が問われている問題である。
決して、奨学金を受給していた青春時代が否定されているのではない。大学までの教育無償という先駆的な役割を同和対策の奨学金が草分けとしてとりくんできたのであり、開拓者たる自負を持って裁判闘争を闘い抜こうではないか。