Vol.86 若者の政治への憤り 無責任な政治と決別を

6月11日土曜日、京都市内で部落解放同盟の近畿・東海・北陸ブロック支部長研修会が開催された。その研修会で、講演された法政大学の山口二郎教授が、昨年の安保法制改悪に対する反対運動の中で、とくに若者の立ち上がりが今までにない新たな市民的文化として誕生したと説明された。

その説明の中で、シールズに代表される学生達の世代は、2011年に日本を襲った3.11の東日本大震災を中学生から高校生時代に体験した世代だと強調された。この世代は、非常に優しさを持っている反面、社会に対する一種の憤りを覚えた世代であり、その憤りが、今回の安保法制改悪反対の運動に連動していると説明された。社会に対する憤りを持っている世代が、安保法制から連なる一連の改憲への脅威に対して、立ち上がったのだと力説されていた。地震、何もかもを呑み込んでしまう津波、そして福島原発メルトダウンという脅威に対して、自然災害への恐怖感ともに、次々に起こる原発の二次被害、三次被害など、人類が到達した最善のはずの原子力発電所の安全神話が脆くも崩れ落ちていくという現実に直面した若者は、社会と政治への憤りを覚えたのだと理解した。

このような若者が持っている社会への憤りが、18歳選挙権に直接つながったとは言わないが、大きな遠因であると理解したい。社会レベルに起こったこうした新たな民主主義の出現を、政治を大きく変えるチャンスにしたいと思うのは、わたしだけではないだろう。

スタートから3年を経過したアベノミクスがうまく機能しているのであれば、公約通り来年4月に消費税を10%へ増税すればいいはずである。それを断行できないということは、アベノミクスは失敗に終わったということであり、それは公約違反そのものであり、安倍晋三首相は国民に対して謝罪し、本来であれば内閣を総辞職しなければならないはずである。ところが、安倍首相の言い分は、アベノミクスはうまくいっているが、消費増税は先延ばししなければならないと説明にならない説明を続けている。日本国民だけでなく、サミットの場を利用して世界主要国の首脳の前で嘯き(うそぶき)、自己主張を正当化するための前代未聞のすり替えを図ろうとしたのである。 各国首脳は「世界経済の危機」にまったく賛同しなかったが、「世界経済の危機を回避すること」という表現なら応じてもよいという温情を示したのである。

首脳たちは、安倍首相のすり替えに驚きながらも、外交的儀礼の範囲内で彼の主張に異議を唱えるにとどまったが、主要国のメディアは揃って、安倍首相の対応を批判したことは言うまでもない。しかし、日本のマスコミ・メディアは、この大失態を批判することもなく、オバマ大統領の広島訪問を大きく取り上げていただけである。サミット宣言で確認されてもいない言葉をあたかも確認されていたかのように発言し、それを批判しないメディア。日本の民主主義が問われていることは言うまでもないだろう。

国会終了時の会見で安倍首相は消費税10%増税の再延期について「これまでのお約束とは異なる、新しい判断だ」と発言した。「新しい判断」という言葉を突然登場させ連発した。こじつけと責任逃れの発言に終始したことは事実である。若者の政治への憤りは、こうした無責任な発言を許し、そして責任も取らない政治にますます憤ることは間違いない。虚言、デマをためらわない何でもありの政治に怒りをあらたにしようではないか。