「継承・継続」「完全実施」 答申50年記念集会で訴えたこと

水平時評 府連書記長 赤井隆史

“猛暑”、“酷暑”と世間を騒がせた8月も残りあとわずかとなった。
今年の8月は、「同和対策審議会」答申が出されて50年目にあたる。
8月11日に大阪市内にある中之島中央公会堂において、同和対策審議会答申50年(以下、「同対審」答申という)を記念して集会が開催された。会場は立ち見が出るほどの盛況ぶりで、集会成功に向け、努力していただいた関係者に心から感謝するものである。

わたしは、その集会において、基調提案をおこないつぎの4点を強調させてもらった。
そのひとつは、1965年に出された「同対審」答申は、なにも突然、唐突に政府から提案されたものではないことだ。とくに「継承・継続」の力が背景となって、時の政府を動かしたのであり、労働運動や市民運動、部落解放運動などの長年の蓄積があったからこそ、「答申」を導いたと訴えた。つまりは、先達の努力の上に今日があると言うことをわたしたちは決して忘れてはならないと訴えたのである。最近の傾向に見られるポッと出の“改革”とは意味が違うことを強調したかったのである。

二つめは、「同対審」答申が提案した指摘を50年経ってなお“完全実施”の精神はいまもなお引き継がれていることである。50年前に「答申」が指摘した「差別に対する法規制」も「人権侵害を受けた被害者救済」の法制度もいまだ実現していない。さらには、差別根絶のためには、教育・労働という課題は、長期展望に立って総合的に推進されなければならないと「答申」が指摘したにもかかわらず、著しい成果を上げるまでに至っていない。「同対審」答申をさらに具現化させることは今日においても重要な課題であると提案したのである。

三つめは、その「同対審」答申の「完全実施」という課題を部落だけで達成しようという狭い枠組みで捉えるのではなく、優れて民主主義の先進例として、さらには、人権社会建設への“完全実施”という運動にランクアップさせるべきであると強調させてもらった。
格差社会が深刻である昨今、生活に困窮する人々がなにも部落にだけ存在するわけではない。さらには、子育てが不安でついつい子どもに対して虐待したり、子育てを放棄する親たちが増えているという実情も被差別部落にだけ存在する課題ではない。生活全般に関わる人権相談など、戦後の部落から育まれてきた隣保活動を今日の時代において、復権させるという「同対審」答申「完全実施」運動が求められると訴えたのである。
「答申」が指摘した差別に対する規制・救済の法制度も部落や被差別部落出身者だけを対象に法制度を確立させようとする時代でもない。ヘイトスピーチへの規制が国会で審議されたり、大阪市でヘイトスピーチを一定規制する条例が検討されるという時代である。あらゆるマイノリティを対象とした差別撤廃のための法制度の必要性は、国際社会からの趨勢でもある。「同対審」答申が50年前に指摘した課題をこの日本社会全体で“完全実施”させていくという運動の展開が重要であることを指摘したい。

四つめには、50年前に出された「答申」は、政府や地方公共団体にその責務を求めたものではあるが、その精神は、なにも行政だけの課題ではなく、地域社会を変えるための市民運動や社会運動、つまり、わたしたちの課題でもあると指摘した。
いまや行政という“公”が万能ではない。行政に依存しても要求しても実現するという時代ではない。つまり、地域社会による共助の力試しという知恵と工夫が求められていると言いたいのである。良い地域社会も人権が大事にされるまちも行政だけの努力で実現できるわけではなく、そこに住んでいる人々の努力が相まってこそ前進するものである。
「同対審」答申から50年が意味するものとは、「求める」「要求する」という部落解放運動から、自分たちで創る部落解放運動への転換を図るということを共有するという2015年にしたいと思っている。
なによりも集会成功に感謝!