丁寧な合意形成こそが民主政治 ワンフレーズに騙されるな

水平時評 府連書記長 赤井隆史

「最高責任者はわたしだ。私たちは選挙で国民の審判を受けている」と国会でのべたのは安倍晋三首相。集団的自衛権の憲法解釈の変更についての質問に対しての回答である。一方、大義なき出直し市長選挙を決めた橋下氏も「選挙で選ばれた私の言うことが民意」と発言している。

双方とも「選挙に勝てば何でもできる」と言わんばかりだが、違う考えや立場の人も尊重して、丁寧に合意形成していくプロセスこそが民主政治の根幹である。多数決で測れない普遍的な価値も時として政治課題となるわけであり、選挙によって選ばれた政治家にすべてを委任しているわけではない。

昨今、見かけだけ勇ましい政治家の言動が目立ってきている。「決められる政治」「強いリーダーシップ」が政治に求められるのは理解できるが、だからといって、“民意”を口実にして、誰ものぞんでいなかった政策がいつの間にか独り歩きしてはいないか。

憲法は、民意を託された政権の行動に枠をはめるものであり、その解釈は時の内閣が決めるものではない。政治が複雑な社会の利害を調整する営みであることを忘れ、単純化された二者択一的な争点に絞り込むような政治を決して市民はのぞんでいない。「選挙で国民の審判を受けている」-“だからこそ何でもオレが決める”といわんばかりの為政者の思い通りにさせないために、憲法があるのだ。

NHK籾井(もみい)会長による就任会見での 「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」との発言も大きな物議を醸している。「公平・公正」「不偏不党」を掲げる公共放送の会長の言葉なのだから、問題であり、公共放送としての存在そのものが疑われる。ひとたび選挙で多数を握った政党や政治家は「私こそ民意だ」とばかりに、あらゆる政策や方針の決定権を得たかのような振る舞いが、NHKの会長をして、“逆らえない風潮”“強い者への忠誠”として現れたのではないだろうか。

橋下氏の仕掛けた出直し市長選挙も“勝てば官軍”として、闘いに勝った者が正義となり、負けた者は不正として扱おうというのであろうか。物事は勝敗によって正邪善悪が決められて良いのであろうか。しかも、それが都構想の設計図案の一本化という目論見だけに6億3千万もの予算をつぎ込み、市長選挙に打って出るという、どこに、大義があるといえるのであろうか。

政治の今後の重要なポイントとして、「決められる政治」「強いリーダーシップ」が叫ばれて久しいが、はき違えて捉えられている節があり、決して雄弁に語るワンフレーズ・ポリティクスに騙されてはいけない。

政治や社会情勢が多様化し、多元化している今日において、そうそう簡単に割り切れるものではない以上、ワンフレーズで説明すると言うことは、結局のところ有権者を欺いているということになる。結果への責任を棚上げし、新たなワンフレーズを叫んで有権者の目をそちらに向けて権力を維持するという政治手法に有権者もそろそろ気づき始めているのではないだろうか。いや、気づかなければならない。