大阪市長の「出直し選」は民主主義への冒涜

水平時評 府連書記長 赤井隆史

橋下大阪市長が、突然、任期途中で辞職し、3月23日投票の出直し市長選に打って出た。それを受けるかたちで、大阪市議会は2月14日、橋下市長が提出していた辞職願を民主をはじめ、自民、公明、共産の各党などの多数で不同意とすることを決めた。いずれも「辞職に大義はない」と主張している。

橋下氏は、地方自治法の規定により、27日での辞職となり、3月9日告示、3月23日投開票で「出直し市長選挙」が実施される。

「市長辞職・再出馬」を決定づけたのは、大阪府・市特別区設置協議会、いわゆる法定協議会で区割り案の絞り込みを否決されたことだ。維新の看板政策である「大阪都」構想が、ここに来て行き詰まりを見せてきたからである。

さらに橋下氏は、2月3日の辞職会見で、辞職し出直し選挙をする理由を「都構想の設計図をつくらせてほしい」とし、今回の出直し選挙は、都構想の是非を問う選挙ではなく、あくまで夏までに設計図をつくるために選挙で民意を得たいと主張した。

単に設計図をつくるためだけに「出直し市長選挙」に6億3千万もの税金を投入する意味があるのだろうか。そもそもなぜ「出直し選挙」をする必要があるのか、まったく理解できない。

本来、知事と市長には行政の長として大きな権限と権力が与えられている。その権力が時として暴走しないように議会が適切なチェック機能を果たすというスタイルが、「二元代表制」であり、首長も議員もそれぞれがそれぞれの選挙によって、有権者から選ばれた代表として行政と議会との関係をつくりだしているのであって、これこそが、議会制民主主義の基本中の基本である。

それを、政策の是非を問うわけでもなく、ただ単に議論の進め方について自身が行き詰まったからといって、辞職して、出直し選挙を強行するのは、二元代表制における議会の否定であり「民主主義への冒涜」ではないだろうか。

橋下氏は、再選されれば都構想の推進に新たなお墨付きを得たと得手勝手な理解をし、都構想に反対する法定協の委員を全員推進派に差し替えると主張している。しかし、首長だけが民意に責任を持っているわけでもない。議員も市民の代表であり、選挙というハードルを得て信託を受けているのである。橋下氏だけが、市長出直しというのであれば、議会も解散し、信を問うべきである。

首長とは、そもそも強引に自らの政策をごり押しするのではなく、少数会派などの意見も尊重しつつ、議会の同意を得ながら、政策を実行に移していくことが本筋といえる。それを法定協議会が、橋下市長の思い通りにならないからと、辞職・再選挙だという姿勢は、あまりにも横暴であり、地方自治への不当な挑戦である。行政と議会に深刻な亀裂を生むこととなり、丁寧な議論で合意形成を図っていくという議会制民主主義の根底が崩れかねない問題だ。

選挙に勝てば何でも許されるという政治手法のあり方が問われている。この「出直し選挙」はまさに無効であり、認めてはいけない選挙である。

民主をはじめ、自民、公明と共産も含め対立候補を擁立しないという政党の考え方は正しい選択であり、市長選挙を闘うのではなく、認めないという立場に立つということである。

こうして公党が候補者を擁立しない以上、橋下氏が再選されることは確実な状況となる。そして、再選を「錦の御旗」に掲げ、法定協議会から反対派を排除し、強引な「区割り案」の絞り込み、「協定書」のとりまとめを強行しようするだろう。しかし、一方で議会は予算や様々な事業に関する条例審議などに混乱と停滞が起こり、遅々として進まない市政運営が予想される。つまり、市長の独裁的ともいえる「出直し選挙」などの横暴により、市政が混乱し、市民生活に悪影響を与えるという事態が予想される。

2015年4月には統一自治体選挙があり、その年の11月にはダブル選挙(大阪知事・大阪市長選挙)が予定されている。それまでに新しい大阪の“維新”ではない政治勢力を結集させ、知事候補、大阪市長候補という新しい“顔”をつくりあげなければならない。わたしたちもその責任を担っていることを自覚したい。