部落解放運動が「社会的企業」に取り組む意味

水平時評 府連書記長 赤井隆史

大阪の部落解放運動ではこの数年間、社会的企業の必要性が叫ばれ続けてきた。府連も、各支部へハッパだけをかけるだけでは責任を果たしたことにはならないと、府連として取り組むべき社会的企業の検討を進めてきた。その先陣を切ったのが、「ふーどばんく OSAKA」だ。

部落解放運動が「食」をテーマとした社会的企業をスタートさせるには、その動機やきっかけ、部落解放運動や人権活動にとって、どんな役割を担うものであるのかについて、明らかにする必要があるだろう。

その第1は、金儲け優先の企業ではなく、地域や社会への再投資という考え方を部落解放運動の中に取り入れようとする試みであるという点だ。差別や排除、忌避といった社会の現実に対して、公が解決しなければならない課題とは別に、地域の側からの行動、仕掛けが必要となってきており、そこを担うのが社会的企業であるといえる。雇用をつくりだし、地域を元気にする市民側からの提案がフードバンクの活動であるという点だ。

第2に、ミッション(任務、使命)が社会的かどうかという点にある。利益追求ではなく、人のためになる活動かどうか、困難を抱えた人を積極的に雇用しようとしているかがポイントである。貧困、孤立といった社会的に排除された人々が社会で受け入れられる仕組みを社会的企業で担おうという活動である。

第3は、最近関心が高まってきている「セルフ・ネグレクト(自己放任)」という状態に陥っている人々に支援の手をさしのべる活動として、フードバンクを提唱したという点である。セルフ・ネグレクトとは、成人が通常の生活を維持するために必要な行為を行う意欲・能力を喪失し、自己の健康・安全を損なうことであり、ひどい場合は、必要な食事をとらず、医療を拒否し、不衛生な環境で生活を続け、家族や周囲から孤立し、孤独死に至る場合があると言われている。
意欲がなくなり社会に参加しようとしない、人との関わりを拒絶してしまうなど、メンタル不調は近年増加の一途にある。行政だけにその解決をゆだねても限界があり、地域社会全体による見守りやフードバンク活動のような取り組みで、乗り切っていかなければならない課題である。

まさに、社会から疎外感をもって孤立している人達に対して、「居場所」をつくりあげることであり、より積極的な意味では社会への「出番」をつくりだすことにある。「居場所」と「出番」を創ることで、社会への参加に導き出すことにある。
1970年代は、それを同和対策特別措置法という行政システムを駆使し、公営住宅の建設や入居の管理、高校・大学の奨学資金の活用、保育所への入所や保育活動の展開などに取り組み、成果を上げてきた。しかし、行政の姿勢が後ろ向きとなり、自治体の財政難と重なることで、一気に各部落での成果は損なわれ、部落解放運動“冬の時代”を迎えたと言うことだ。

部落解放運動が再生をめざすために、もう一度同和対策の華々しい時代へ、と時代の逆回転を唱えるひとも一部には存在しているようだが、そもそも行政万能論や部落差別の責任を行政だけにすべて転嫁していては、部落差別を自ら克服していく運動とは逆行しているということを明らかにしていきたいと思っている。

差別の現れ方が多元化してきている現代にあって、従来の運動スタイルではこの困難をきり拓いていくことは出来ないという問題意識からスタートし、そのために社会的企業を興こすという発想が育まれてきたのだ。目標は、自らで「雇用を創る」ということであり、その活動を通じて人権や環境という社会的活動につながって行くということでもある。
新たな時代における新たな部落解放運動の挑戦の実例である。