多様化した社会に応じた多様化した運動を

水平時評 府連書記長 赤井隆史

昨年末、希代の悪法「特定秘密保護法案」が与党の強行採決により成立した。その審議のさなか、自民党の石破幹事長は自らのブログに、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質であまり変わらないように思われる」などと書き込み批判を浴びた。

石破氏は、「人が恐怖を感じるような音で『絶対にこれを許さない』という形で訴えることが、民主主義にとって正しいことか」とのべ、現在の国会周辺のデモには問題点があると重ねて指摘した上で、批判に対しては「表現が足りなかったところがあればおわびしないといけない」と釈明し、「テロ行為と変わらない」との表現は撤回する考えを示した。

「テロリズム」についての日本政府の定義は「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」である。

デモは言うまでもなく日本国憲法21条で「集会・結社・表現の自由」として保障されている行為である。「テロ行為と変わらない」という石破発言は、憲法からも政府の定義からも大きく逸脱し、表現の自由を侵害する発言であり、許されるべきものでない。

しかし、あえて石破発言の趣旨に沿うならば「韓国人をたたき出せ」などと連呼し、「朝鮮人を追放しろ」などというスローガンを叫んでデモを繰り返し、罵詈雑言の言葉が飛び交う“ヘイトスピーチ”(憎悪発言)こそが、表現の自由、言論の自由の範囲をこえたテロ行為ではないのか、ともいえる。

私たちの立場からすれば、当然「特定秘密保護法案」の反対デモは○、ヘイトスピーチのような差別扇動は×ということになる。しかし、そうではないと考える人たちが一定数いるのも今の日本社会だ。

ハト派とタカ派、資本と労働、自民党と社会党など、単純な二項対立で説明できた社会は終篇を迎えており、新しい秩序を探して混沌とした時代をわたしたちは生きているという認識を持つ必要があるのではないかと思っている。

自分たちの部落解放運動や市民活動は、つねに正義で正しいものだという発想ではなく、多様化した社会には、多様化した社会運動が求められているという工夫を部落解放運動に取り入れていかなければならないとも思っている。

府連は昨年『新たな部落解放運動への挑戦』を発表した。全国水平社の創立から100年目を迎える2022年までに、未来の人たちに誇りうる解放運動にすることがわたしたち世代の責任であるという自覚から提案するに至ったものである。

この『挑戦』を具体化していくにあたっては、まず府内の部落解放同盟の各支部も多様化してきているという事態を認識することが大事だと思っている。複雑化するこの社会では、差別や人権侵害の現れ方が多様化してきており、部落差別の当事者である被差別部落出身者にあらわれる差別や人権侵害の形態も複雑系になっている。

さまざまな形態で社会から排除されたり、地域そのものが空洞化を起こし、同和地区が衰退していく現実など、多様化、複雑化しているのが今日の部落の現状だ。まさに「部落は47色のカラーであり、いろいろな色彩を放っている」のだ。

そんな時に、中央、府連という縦ラインだけの運動方針では、多様化した部落の現実にはそぐわなくなってきている。方針提起の執行委員会や府連委員会ではない、例えば「部落代表者の集い」など、各支部の意見を参考にしながら、決して押しつけるものではない“なにも決めない”会議などの工夫が必要だ。とくに府連の機関である府連委員会や執行委員会、支部長・書記長会議など決定機関そのもののあり方を見直す時期にあることも訴えておきたい。

今年は『挑戦』で提起した「部落差別の克服」と「社会的排除との闘い」を具体的にチャレンジを開始する年にしなければならない。組織の硬直化に歯止めがかからず、運動の総崩れをおこしてしまう危険水域に入っているという自覚が必要だと思っている。

これからの府連は、支部にとって本部であるべきなのか。中央本部、府連、支部という“タテ型”の組織形態を、この際“ヨコ型”にしてみるという発想の転換が必要だと思っている。

つまり、府連であったり、研究所、さらには社会福祉法人のネットワークとして活動をスタートさせた「つばめ会」といった、いわば部落解放運動から育まれてきた各戦線による組織・団体が部落解放運動のフィールドを提供し“居場所づくり”や“出番づくり”の呼びかけに支部が応えていくというスタイルに組織そのものを変革させる一大改革を成し遂げなければならないということだ。

府連というプラットホームに集まってくれば、なにか新たな市民活動の“場”や新たな“コミュニティビジネス”のチャンスがめぐってくるという場所に、改編させていく。そんな、組織改革の年にしたい。

部落解放委員会から部落解放同盟へ……そして今の「混沌」とした時代における部落解放運動に相応しい組織へ、おぼろげながら輪郭だけでも示す年にしたいと思っている。つぎの時代への責任として……。