
狭山事件の石川一雄さんが3月11日午後10時、埼玉県狭山市内の病院で亡くなった。
ニュース | 2025年3月12日
ニュース | 2025年3月12日
狭山事件の石川一雄さんが3月11日午後10時、埼玉県狭山市内の病院で亡くなった。86歳だった。
石川さんは、近年は体調を崩しがちで集会への参加もひかえビデオメッセージで支援を訴えていた。昨年末に肺炎を発症し入院。一時は危ない状況と伝えられたが、少しずつ回復に向かっているとの報せに胸をなでおろしていた矢先だった。突然の訃報に、府連・各支部は深い悲しみに包まれている。
3月の三者協議で検察が「5月に意見書を提出する」としたのに対し、裁判長は次回期日を4月に設定。極めて異例な短期間であることから証人尋問に大きな期待を持っていたという。その無念さは計り知れない。
石川さんの人生はえん罪との闘いの連続だった。石川さんは1963年に発生した狭山事件で部落差別に基づく見込み捜査によって24歳で不当に逮捕された。無実を訴え続けたが東京高裁で無期懲役判決が確定。94年に仮出獄してからも再審無罪を求め続けた。
狭山事件は部落差別に基づくえん罪事件として、同盟員にとどまらず、労働組合、住民の会、学者、文化人などにも支援の輪は広がり、署名活動や街頭宣伝活動など、多くの人たちが石川さんと連帯し支え続けた。
長年にわたる獄中生活、仮出獄後も続く再審闘争、石川さんは決して諦めることなく、不撓不屈の精神を持って「必ず生きてえん罪を晴らす」と無実を訴え続けた。その姿は、多くの人々に勇気と希望を与えてきた。
私たちは石川さんの遺志を受け継ぎ、石川さんの無実を証明し、名誉を回復するために、これからも闘い続けることを改めて確認したい。
石川さんのご冥福を心よりお祈りする。
なお葬儀は家族で営み、後日追悼集会がひらかれる予定。