「すべての戦争は、言論統制から」

水平時評 府連書記長 赤井隆史

故中沢啓治さんが自らの被爆体験を綴った漫画『はだしのゲン』について、「描写が過激だ」として松江市教育委員会が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できないようにしたことが新聞、テレビで連日取り上げられている。

漫画『はだしのゲン』は1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、現在、約20カ国語に翻訳されているらしい。その作品が連載から40年経過した今なぜ「閲覧の制限」なのか。

故中沢啓治さんのつれあいさんであるミチヨさんは「40年たった今になってなぜ、と驚いています。(夫は)多くの資料を読み尽くし、子どもたちにとってどこまで描いていいかを考え抜いていた。戦争をきれいに描くことなんかできない。読むか読まないかは、子どもたちが決めること」とのコメントを発表している。

さきごろ、NHKで放送されていた『従軍作家たちの戦争』を見た。そこに登場していた作家の浅田次郎さんが次のような感想を述べている。

「すべての戦争は、言論統制からはじまる。言論統制からはじまらない戦争はない」。

当時、多くの作家が戦意高揚のプロパガンダに利用された。戦争を正当化する空気を、もっともらしく、つくらねばならない時代である。自分の描きたい小説とは違っても、時代が求めているのは、戦争への賛美であり、戦地で闘う兵隊さんの意気揚々とした姿や、相手国に鉄槌を食らわしている勇敢な場面。そうした表現が国民を鼓舞した時代である。

「ペン部隊」として、国民の意識を戦争賛美の方向へと向けていく「国家プロジェクト」に与した作家たちは、敗戦後、戦争責任を問う空気が国民に高まるなかで批判の対象にさらされていくことになる。「従軍作家たちの戦争」で取り上げられた作家の火野葦平さんは、戦中に載せられなかった部分を自分自身で作品に加筆し、その後、書斎で自殺している。

いま、なぜ、漫画『はだしのゲン』の閲覧制限に踏み切ろうとする自治体があらわれたのか。40年の時を経て、一度たりとも規制が加えられたことがない『はだしのゲン』に対する、凄惨な描写が過激すぎるとの批判に「言論統制からはじまらない戦争はない」と警鐘を鳴らす浅田次郎さんの言葉が重なっていく。

言論弾圧や表現の自由への侵害は、時の権力者が号令一下、上からの指令で行うというものより、上記のような一部の小さな範囲で起こる事なかれ主義が、じわじわと広がり、いつの間にか、言論統制されていたという“無自覚な右傾化”ともいうべき領域にさしかかっていると捉えるべき事態であろう。

「ま、いいか」と思ってしまう人が増えるととも、この悪しき流れが加速していくように思うのは、わたしだけであろうか。