詭弁、まやかしを”吐き”続ける橋下大阪市長

水平時評 府連書記長 赤井隆史

急がなければならない事情があり、わたしの住んでいる西成区からタクシーに乗った。
運転手さんから「地元の方ですか?」と尋ねられ、「そうです」と答えた。運転手さんは続けて、「わたしも生まれも育ちも西成の○○なんです。いまは、平野なんです」と語られた。年格好は60代半ばと拝見したが、「家が貧しくて奉公に出され、ろくに学校にいってないんですわぁ」「しやけど、車の試験(免許)○×でしょう。暗記して覚えましたわ」「タクシーの運ちゃんはあとは努力です。いまはこの年でダメですけど、40代ぐらいまでは皆勤賞で、水揚げもトップクラスでした」と力強く話された。

わたしは素直に「苦労したんですなぁ〜」と問いかけると、「苦労ちゃいます。学校いかれへんかった分、免許取れたときはうれしかったなぁ」と振り返られた。「読み書きも不自由な人間が、車運転できるだけでもありがたいと思わなぁ。この業界(タクシー業界)は頑張れば、頑張るだけ実入り(収入)も増えるんです。学校もいってない人間が評価されるチャンスはいくらでもあるんです。この業界は・・・」と続けられた。

生まれ故郷が一致した人間を乗せ、なつかしさから熱弁をふるわれたのかはわからないが、とにかく良くしゃべる運転手さんである。

「やっぱり人への感謝はわすれたらあきませんよ」「人の不満や陰口は慎むべきです。ぜんぶ自分に返ってくるからです」。…それからこんなことも言われた。

「人への不満や陰口-いわゆる批判は、“吐く”て言うんですよ」。

わたしが、「モノを吐くの、はくですか?」と尋ねると、「そうです。口は災いの元って言うでしょう」「部首が口へんに+プラスと-マイナスって書いて“吐く”なんですよ」「つまり、人への批判や陰口はマイナスでしょう。プラスのことも言い、マイナスのことも言う。だから口から言葉を“吐く”になるんです」と教えてくれた。続けて、「お客さん。人への文句を言わないプラスだけのことをなんて言うか知ってますか」と問われた。わたしは、「わかりません」と答えると、運転手さんが、「口へんに+プラスって書いてなんと読みます」と聞かれ、「叶う(かなう)ですか?」と答えた。すると運転手さんが、「そうです。ひとをほめたり、プラスのことを言い続けると夢は“叶う”んです」と教えられた。

口にプラスと書いて“叶う”になる。この時のプラスとは、いったいなにを意味しているのだろうか。陰口や告げ口ではないことは理解できる。しかし、人への批判や敵対した勢力との対決のための反論は当然、口から発せられる。

口から発せられると言えば、最近の橋下大阪市長の一連の発言である。まさに“厚顔無恥”とはこのことを言うようだ。それは、客観的に見ても明らかな妄言であり、自分の非を非と認めず、強引に間違っていないと言い張る態度は、まさしく“妄言を吐く”という言葉がピッタリくる。笑止千万な振る舞いである。

「銃弾がね雨嵐のごとく飛び交うなかで、命懸けて、そこを走ってゆくときにね、そりゃあの、もさ(猛者)集団といいますか、精神的にも高ぶっているようなそういう集団、やっぱりどこかでね、まあ、休息じゃないけれども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度というのは必要なのは、これは誰だって分かるわけです」との発言を「橋下徹氏が従軍慰安婦は必要だったと述べた」と各メディアは報じた。

これに橋下市長が噛みついた。「歴史的文脈において『戦時においては』、『世界各国の軍が』(慰安婦の)女性を必要としていたと発言したところ、『私が(橋下氏)』容認していると誤報された」とマスコミ批判を展開した。

しかし、「必要なのは、これは誰だって分かる(橋下氏の発言)」という言葉を「自分を含めて慰安婦制度が必要である」と捉えるのは誰が考えても自然であり、それ以外に捉えようがないだろう。

どこに誤報や誤解といった極端な解釈があったのか。詭弁、まやかしとしか言いようのない。ここはやはり、橋下大阪市長さん。“吐く”より、“叶う”でしょう。

部落解放同盟大阪府連合会 書記長 赤井隆史