国民栄誉賞 受けた人と渡す人の説明しがたい差

拝啓 わたしは阪神タイガースのファンである。
まずはじめに断りを入れた上で、書かせていただくことにする。

5月5日、「こどもの日」にプロ野球で活躍した長嶋茂雄氏、松井秀喜氏の国民栄誉賞の授賞式が東京ドームで行なわれた。
この2人が、国民栄誉賞の対象になったことには、賛否両論があったようだが、ここではそのことに触れるつもりはない。長嶋氏は、当時の世相を表す言葉として「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた時代にあって、その巨人の印象を一番持ち続けた人であり、ダイナミックなプレーぶりは野球ファンの脳裏にしっかりと焼き付いていることだろう。ある意味、記録以上に「最も記憶に残る選手、監督」であったことは間違いないのない事実だと思う。

ただ、2人の国民栄誉賞受賞を喜んでいる巨人ファンでさえ、この時期の授与や受賞イベントのやり方には、いささか「政治利用された感じは否めない」と受け止めている人が少なくないようだ。
しかも、安倍首相が、背番号96をつけた巨人軍のユニフォームで始球式に参加したことで、清々しく、ほほえましいはずの式典が、「水をさされて、純粋に楽しめなかった」と嘆くようなものに変じてしまったと感じたのはわたしだけか。
ちなみに、安倍首相は、96番をつけたことに関して、「96代首相だからですよ。そういえば、憲法96条だなと。まあ運命とはこういうものだから」と説明したようだ。
公明党の幹部が皮肉るように「9番でなくてよかった」と言ったとか、言わないとか・・・

ここで、取り上げたいのは、そんなことではなく、「松井秀喜さんのスピーチ」についてである。スピーチは、松井氏の人柄をそのまま表すもので、多くの人を感動させたのではないか、との感想をわたしは抱いた。

省略しながら紹介すれば、「私は王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場記録で、何か世界記録を作れたわけではありません。長嶋監督の現役時代のように日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーができたわけではありません。僕が誇れることは、日米のすばらしいチームでプレイし、すばらしい指導者の方々、チームメイト、そしてすばらしいファンにめぐまれたことです。今後、偉大なお三方の背中を追いかけ、日本の野球の、そして野球を愛する国民の皆さんの力に少しでもなれるように努力していきたいと思います。」との内容である。もともと国民栄誉賞の話が持ち上がった段階で、「僕には受けるほどの資格がない」と固辞し、長嶋氏から「一緒に受賞を」と言われて渋々応じたと紹介されているとおり、謙虚な姿勢はあいさつにもあらわれている。

野球界における国民栄誉賞の表彰を受けた方は、王氏、衣笠氏であり、この二人への配慮の言葉やアメリカでの生活、さらには、ファンへの感謝の言葉・・・みじかいスピーチに言葉を込め、書いた原稿を読み上げるのではなく、本当に人柄がにじみ出る心温まる内容であったと思う。

野球界であれ、他の業界であっても真摯に黙々と努力し続けた人の言葉は重たく、心に響く。にもかかわらず、政治家のトップであるはずの首相の言葉のきわめて軽い印象を持ってしまったのはわたしだけか。
しかも登場した姿が、背番号96では、説明のしようのないほど、人間性に差を感じたのはわたしだけだろうか。

部落解放同盟大阪府連合会書記長 赤井隆史