好機を見逃さない感覚を

部落解放同盟大阪府連が「新たな出発の集い」と銘打って、1月7日に“旗びらき”が開催された。
第1部の赤井書記長の新年の基調提案においても、第2部の北口委員長の主催者あいさつでも「従来の解放運動を踏襲しても時代の変化に埋没してしまう」「今までの常識が非常識になる時代」「変化をチャンスにすることが出来る運動の展開へ」との訴えが続いた。
どんな組織も長年続けば緊張感は少なくなる。長年続くというのは平穏な状態であることが前提であり、平穏でなければ長くは続かない。

例えば、毎年お中元・お歳暮を出す会社が存在したとしよう。現場は昨年と同じ名簿で同じように送りたい、その方が面倒でないからだ。事務局は去年と同じことを踏襲したがるものである
ところが社長から昨年のリストを見直して切るところは切る、逆に必要なところには全部送るように指示が出されたとしたら会社内はどうなるか。
現場はさあ大変だ。なぜ昨年送ったのか、その効果はあったのか、なかったのか、これから先はどうなのか、顧客ごと精査しなければならない、そして今年取引が始まったばかりだけれど、今後は重要なお客様になる可能性のある先についても同じように検討しなければならない。単純な仕事が、逆に頭で考え資料をつくらなければならない仕事になる。
わたしたちの解放運動も、こうした次々に生まれてくる状況の変化に対応していかなければならない時代だということかもしれない。昨年のやり方を踏襲してそのまま生き残れる企業は存在しない。

行政にも同じことが言えるだろう。公的サービスの提供者としてムダを省き必要なところに必要な公的サービスを提供するのが行政である。変化の激しい日本社会で何を優先して取り組むか、現場でできることは非常に多いと思うのだが・・・。
「昨日と同じように仕事をする、明日も同じように仕事をする」。惰性で仕事をするのではなく、必要性の高いもの、緊急性の高いものにカネも時間も人も優先的に配分しなければ緊張感ある行政など実現するわけがない。これをチェックするのが、市民の仕事であるはずだ。行政に対するスタンスも従来の行政闘争スタイルにも変化が必要だ。「必要性の高いもの、緊急性の高いもの」が人権施策であるという説明を市民や運動の側も果たさなければならない。いわば“提案と説明の責任”を果たす時代を迎えたと言えよう。

「変化をチャンスに!」という言葉は簡単だが、変化を正確に見抜く力や客観的に判断する力がなければ、チャンスだということを読み取る力も、今そこに来てる好機さえ見逃してしまうものである。
今年は、じっくりとなにがチャンスかと言うことを見抜くための日頃のウォッチ感覚を研ぎ澄ます年にしたいものだ。(A)