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「言語道断」か、「論外」「問答無用」など、それこそ忌まわしい、不快としか表現のしようのない呆れてものも言えない差別発言が飛び出した。しかもそれが、大阪市職員による部落差別発言というのだから開いた口が塞がらない。
と言うのも大阪港湾局の職員2人による職務中の公用車内での日常会話が、ドライブレコーダーによって一部“暴露”されたケースが今回の事態であるという最悪のケースである。つまり、密室での差別発言がほぼ常態化していたことを物語っている悪質な事件だと推測されているのである。
大阪市公用車軽トラの「運転が荒い」という情報が寄せられ、職場内でドライブレコーダーを確認したところ職員2人による車内で繰り返される差別発言が発覚したというのだ。つまり、他の職員からの指摘や抗議、さらには会話を聞いていた第三者からの問題提起というケースで、発覚した差別発言ではない。密室の車内に2人のみで交わされた日常会話の延長線上に今回の差別発言が録音として記録されていたというのだ。
今回たまたま相手を攻撃する材料に部落差別発言を利用するといったケースや同僚の出自を暴くアウティング行為として、「○○はどこどこ部落の出身である」という偶然発出された差別発言でもない。日頃の日常会話的に部落差別発言を頻繁に繰り返していたあらわれとしかとりようのない差別発言事件である。
この事件に対する大阪市の対応はすべてにおいて及び腰だ。とくに当該の港湾局の対応に至っては、お粗末とも言えるガバナンスの欠如であり、局事態の失策を隠蔽しているのではないかとの疑惑を抱かれても不思議ではないほどの大失態ではないだろうか。
人権行政推進本部の本部長である横山大阪市長は、各所属長に対して、「このような、他者を傷つけ人権を踏みにじる差別発言は、本市がめざす人権尊重の社会づくりの理念に反するものであり断じて許されるものではない。組織的対応に至るまでに相当の時間を要したことは看過できない。」と声を荒げたと聞く。
申し訳ないが、行政トップが「断じて許されるものではない」と強く抗議の意志を示したことは理解するが、職員2人の差別発言は、公務員というレベルの発言ではなく、人間の尊厳が否定され、ひとをひととしてみない非人道的差別発言そのものであり、ひととしてあるまじき発言である。
同じ釜のメシを食っている同僚に対して、同じ港湾局職員に向けて発せられている許しがたい部落差別発言をはじめとする数々の人権侵害行為は、発言者本人が孤立し、職場環境へ不満を抱いているという憤りという範疇(はんちゅう)を超えるものであり、人間の尊厳を否定する身勝手で傲慢な思い込みによる露骨な差別意識のあらわれだと断罪したい。
差別発言の内容については、今後明らかにされていくことになるだろうが、現在のところ大阪市は、「具体的な発言を公表することによって、差別の再拡散につながる」という理由で、事案の概要という範囲に限定して公表している。その内容は、「同僚職員数名を指してえたなどの部落差別を意図する賤称語を数十回以上にわたり執拗に繰り返し誹謗中傷した」「子どもが結婚するときはシビアになる、生まれ変わっても血は変わらない、皮をなめして暮らしている、部落地名総鑑で調べる」などなどだ。
「断じて許されるものではない」「率先して人権行政を推進する」「このような事案を二度と発生させない」とする大阪市の見解から導き出される答えは、“見える化”でなければならないのではないだろうか。「差別の再拡散をとめる」ためにも、“どんな発言が前後も含めてなされたのか”、“差別的な会話がどんな前後の文脈を持って2人の中で成立したのか”など明らかにしなければならない課題も多い。
島崎藤村の「破戒」の小説ではないが、“エッタが泊まった旅館の畳みが交換される描写”や“「出て行け」と石が投げつけられる描写”。さらには、“「丑松(うしまつ)のような立派な人間が穢多な訳がない」との同僚の言葉”など、露骨極まりない差別言動は、明治という時代背景がつくりだした数々の描写のはずだ。
しかし、こうした露骨で理不尽な差別言動が現代社会においても繰り返されていたという事実。しかもそれが全国の先駆的役割を担ってきた大阪市における同和行政のたどり着いた帰結だと考えれば、情けなさを通り越して落胆を覚えるものだ。
猛省と真相糾明の徹底こそが急がれる課題であることは言うまでもない。