Vol.237 『破戒』の主人公、丑松の描かれ方から見る時代の変化

9月20日和歌山市内で、奈良県連・和歌山県連・大阪府連・西光万吉顕彰会のメンバーなどが集い、2年に1回部落解放運動を地域でとりくみながら文化芸術、平和活動などに大きな貢献を果たした団体に対して、西光万吉文化・平和活動奨励賞を贈る活動を続けており、ひさしぶりに実行委員会が開催された。

その代表を務めるのが、奈良県の川口正志大先輩であり、当然のことながら実行委員会代表として開会のあいさつが行われた。そのあいさつの中で、「丑松というのは、わたしから言わせれば部落解放運動から逃亡したまさに差別に負けていった人物である」「解放運動にとりくんでいるものなら“丑松になるな”とか、部落出身であることを隠すような人間には、おまえは“丑松か”とよく言ったもんだ」と当時運動から逃避していくひとに対する批判的な言葉としてよく引用されていたことを川口さんなりに回顧された。

そのあと、「しかし、今回の映画『破戒』は、見事差別に立ち向かおうとする丑松に変化しており、おまえ丑松になるぞーとはこれからは言えない変わりようである」と川口御大らしいユーモアあるあいさつをされ、会場のムードは一変した。

たしかに「破戒」の映画化は3度目であり、猪子蓮太郎の解放運動に献身し、差別、解放への強い態度に対して、主人公の瀬川丑松は、その猪子に憧れつつ父の戒めである被差別部落の出身であるという事実を決して口外してはならないという心の葛藤が常に描かれ、出自を明かせば差別される対象に自分がなってしまうと言う恐怖感を拭うことはできない弱い主人公として描かれてきた。差別に負けていく姿を強調する映画は、差別撤廃を目標とする部落解放運動にとっては、決して前向きな映画ではないと過去二回の映画化に対して批判的な評価を解放同盟として判断している。

さらには、学校の内外で「丑松は、被差別部落の出身ではないか」との噂が広がり、最終的には子どもたちの前に頭を垂れ出自を隠していたという事実を告げ、子どもたちの前で土下座して謝るという映像は、被差別部落の側から見れば、なんとも情けない差別に負けていく姿として批判が集中した。こうして丑松は差別に飲み込まれそこから逃れるために小説ではテキサスに逃避していくという結末として描かれている。

部落解放運動に参加したことのある多くのひとが体験したことのある言葉に、「ここで出自を隠したら丑松と呼ばれるぞ」と部落出身であることに卑下したり、隠し通せるのであれば、自分のアイデンティティーを封印してしまおうとする人物に対して、そういう言葉が投げかけられた現実を見聞きしたひとは多いと思う。

しかし、今回7月から全国で上映された映画「破戒」は、見事丑松が、自分の出自に葛藤しながら最後には被差別部落出身であることをカミングアウトし、これからは自分の生まれに対して、真正面から向き合い出自を隠すことなく、志保とともに東京で前向きに頑張っていこうとする姿が描かれエンディングを迎えるという結末に変化している。

それこそ父親からの戒めを破り、猪子廉太郎の意志を受け継いでこれからの苦難な道に対しても決して逃げることなく、被差別部落出身者として生き抜いていこうという結びは、部落問題を知らない多くの若い人たちへの気づきとなり、間宮祥太朗さんという人気ある俳優の影響もあって、ほとんど部落問題に精通したことのない層に、訴えかける映画としては、啓発効果は抜群であったと手前味噌ではあるがそう思っている。

いま被差別部落出身である10代後半や20代の若い人たちのなかに、当時の丑松のように24時間365日自分の出自に苦悩しているひとはまずいないと思う。しかし、恋愛や仕事、友達との何気ない会話の中に、ビクッとしたり、青ざめたり、ちょっと引っかかったりした経験のある人は少なくないだろう。そのときに「自分は君たちが今怖いとか、ガラが悪いといった地域−つまり部落の人間である」と堂々とカミングアウトすべきというのが、従来の部落解放運動の考え方だったかもしれない。これからは出身であるという一言が、それこそ、さりげなく「俺そこの出身やねん」とハードル低く諭すように喋る関係をつくりあげる社会を到来させることが重要なようである。

映画「破戒」の時代背景である大正の時代ではない。丑松の苦悩の時代とはまったく違う社会である。だからこそ人生の中で、そんなに数多く出会うことのない、差別に遭遇した時、思いのほか対処できず崩れ落ちるように差別に飲み込まれて言ってしまうひとも少なくないのが現実である。差別とはそれほど根の深いものなのだ。