Vol.214 穏健保守・リベラル路線を捨てた宏地会=岸田総理誕生に思う 

 

「ノーサイド」と宣言したのは、岸田自民党総裁誕生の挨拶での出来事だ。
闘いや争いが終了し、互いの健闘をたたえ合う。これからは自民党ひとつにまとめ合って進んでいこうという総裁としての言葉なハズが・・・

自民党の役員人事と閣僚の顔ぶれを見渡せば、どこに「ノーサイド」という言葉が当てはまるのか首を傾げざるを得ない。
現実に岸田氏が総裁に上り詰めたのも安倍氏・麻生氏に逆らうことなく、彼らの了解と支持を得て権力の座をつかもうという戦術を駆使したとしか思えない総裁選の結果であり、それを受けての党役員人事と組閣と引き継がれていくわけであり、当然と言えば当然の論功行賞の布陣である。

まず、麻生氏を副総裁に据え、キングメーカーとしての立場を担保させ、次いで実に9年ぶりに空くことになる財務大臣には、あくまで麻生氏に忖度したのか、義弟の鈴木俊一氏を当てるという気を遣った人事を採用。さらには、甘利明氏を、党の最高ポストで実権を握ることになる幹事長というポストに処遇。安倍氏お気に入りの高市早苗氏を政調会長に処遇するという、まさにモリカケサクラ疑惑隠蔽人事とも言うべき“岸田政権”の船出である。

もう10年以上前の話しになるが、当時の宏地会のドンであった古賀誠氏に国会内で人権擁護法案の成立をめぐり、紛糾していた時期での話しであるが、じつにゆっくりとした口調で、淡々と法案の成立に向け、党内での議論を集約するという、“凄みある口調”で緊張感あるやりとりをしたことを覚えている。まさに穏健保守リベラルという言葉がぴったりの政治家を目のあたりにし、国会議員とは左右に関係なく、こうした人物が政治を司るという「日本も捨てたものではないなぁ」と当時は思ったものである。

その宏地会の現在の代表が岸田氏である。本来なら総裁選への戦略としては、宏地会伝統の穏健保守リベラルにしっかりと立ち戻って組み立て直した政策を発表し、岸田派だけではなく、谷垣グループや麻生派の一部、さらには、福田氏を筆頭とする三回生以下の議員による「党風一新の会」などへ協力を求め、宏地会にとっての宿敵であるはずの清和会をはじめとする党内の保守タカ派が掲げる戦前回帰的な保守反動と全面的に対決するという構図を描くべき道筋が岸田氏のとるべき道ではなかったのかと思う。しかし、岸田氏がめざした方向は、安倍氏と麻生氏、さらには清和会に媚びることで総裁の椅子を確保しようとしたことであり、当然自民党の人事や閣僚ポストに対して忖度せざるを得ない状況を招いてしまったことは、悲劇的な出来事である。

一方、総理に一番近いと言われた河野太郎氏であったが、それは、何と言っても本人も小泉進次郎氏も、新鮮にうつるがやや発言が危なっかしい。しかし、人気抜群のコンビと政策通の苦労人にうつる石破茂氏が下支えするという構図が、国民人気という点では他の候補を圧倒していたにも関わらず、河野氏自身が安倍氏・麻生氏に擦り寄って支持を得ようとして、森友疑惑について「再調査は必要ない」と言い出しことであり、また持論でもあった脱原発のトーンも弱めて「安全な原発は再稼働する」と完全に国民の期待を裏切るという判断に出たことが敗因の原因となった。

衆議院選挙を前にした自民党のゴタゴタ劇ではあるが、10月19日公示、31日投開票で総選挙が実施されることがほぼ確定した。自民党というコップの中の争いではあるが、当面するコロナ対策への政策と新しい資本主義のありようをめぐり、論争が繰り広げられることとなる。

わたしたちは、忘れてはならないこともしっかりと認識しておく必要がある。それは、1年前の9月自民党の幹部たちは、党員投票を回避して政策議論もないままに派閥の論理で、菅政権を誕生させたのである。「令和おじさん」は実に60%を超える支持率を確保し、順風満帆の船出をし、そこから学術会議のメンバー選定の問題やつねに一歩遅いコロナ対応、不誠実で説明しない首相会見などにより、3割を切る支持率に急落。菅さんでは選挙を闘えないと実施されたのが今回の総裁選だ。

マスコミはこぞってこの自民党の総裁選を取り上げ、「多様な候補が、活力ある政策論議を行っている点は、さすが政権与党」とはやし立てたのではないのか。半年前や1年前を忘れてはならない。こうした安倍・菅政権を経て岸田政権へと継承されているのである。有権者としての一票。大事に行使したいものだ。