Vol.197 「言論・表現」の自由がなし崩し的に崩壊する危機

アメリカ・トランプ氏のツイッターのアカウント「永久停止」が内外で話題となっている。
その一報を聞いた時、米議会襲撃事件を煽る形で呼びかけたトランプ氏の言動に対して、「そりゃあツイッター社の停止は当然」とツイッター社に賛美を送ろうとした。

しかし、「まてよ〜」と「ツイッター社って大企業ではあれ、ひとつの民間会社」「単なる民間会社が天下のアメリカ大統領の意見を誰の許可なく停止しても良いのか」と疑問が湧いた。しかも「永久停止」とは、抗議の度を超えた暴力を呼びかけるような発言は×としても一民間会社がひとりの言論を封鎖するという行為はおかしいのではないかとの疑念が生じた。

やはり、そもそも差別やヘイトなどの投稿は、民主的な監視という新たな社会的仕組みが存在し、それを差別であり、人権侵害であるという違法な投稿であるという人権委員会(仮称)みたいな機関において、認定されるという法的手続きの必要性が求められるべき対処方法ではないだろうか。

確かにトランプ氏の言動は、あまりにも過激であり、暴徒を呼びかけるような発言ではあるが、それをIT大手の影響力が大きいツイッター社というだけで、言論を一民間企業が封鎖するという行為は許されて良いものではない。一部の国家と影響力の強いIT大手企業が手を結べば、「言論の自由も表現の自由」もなし崩し的に崩壊される危険性さえ生じる危うい問題である。

大手企業の恣意的な解釈とそれにともなう一定の世論さえ整えば、簡単に言論を封鎖してしまう社会にしてはいけない。それこそ戦後積み上げてきた「表現の自由」をトランプという最悪の大統領と一緒になって、失う必要など微塵もない。

日本に目をやれば、「アメとムチ」が国会での重要テーマとして議論されようとしている。

それは、コロナ特措法改正による補償と罰則の問題だ。そもそもそれを“アメ”“ムチ”と表現すること自体が間違っている。補償は決してアメではない。補償を調べれば、「損害や出費などを金銭でおぎない、つぐなうこと」とある。二度目の緊急事態宣言による損害・出費をおぎなうということではあるが、損失をすべて政府が補うと言うことでなければならない。東京都では、大手飲食店は除外されているし、その他の府県でも補償額が十二分に補償されている金額とは言い難い内容である。つまり、アメとも表現できない粗末な内容であり、事業規模に応じた売上金額に比例した補償とはほど遠いものだ。

それに対して、ムチは明確だ。コロナ患者を受け入れない病院名は公表。コロナ感染者が入院などの指示に従わなかった場合は罰金。飲食店による時短営業違反店へは罰則となっている。

私権が制限されている状態が緊急事態であり、その時点で個人に保障されている権利や自由に一定の制限を科せ、日常生活に支障をきたしているのである。しかし、それでも感染拡大が止まらないという政治的判断が優先され、強い強制力で持って刑事罰や罰則を適用しようという。まさに自由の侵害でしかない暴挙である。

感染拡大の最大の原因は、「旅行に行こう」「移動で感染は拡大しない」と繰り返し積極的に喧伝していた政府や国会にあったのではないのか。そのこと自体は否定せずに外出を控えようといわれても戸惑うのが普通の感覚だ。食事をしても会合が目的なら会食ではないと言い張る一方で、飲食店の時短営業を求めるのは本末転倒だと思うのは当たり前ではないのか。

営業や労働で生きていく権利は侵害されるものであってはならない。それでも緊急事態宣言という枠にはめられればほとんどの飲食店は、それを守り時短営業には協力している。少なくともその損失こそ補償されるべきものであり、決して営業する自由を政府が侵害してはならないことは明白である。差別的な発言やヘイトなどによる差別扇動への罰則という問題と、市民生活そのものを規制し、守らねば罰則という方向は、これこそムチであり、私権制限に政府の意図をさらに上乗せする歴史に汚点さえ残すことになる失政である。

コロナ対策の後手後手という批判による「内閣支持率の急降下」が、国民への私権と人権をさらに強権的に支配しようという方向にむかわせたのか。アメリカではそれがトランプ氏の暴走となり、IT大手企業による「永久停止」という罰則となってかえってきた。菅政権へは、立憲民主などの踏ん張りで、画期的な補償制度の確立とコロナ差別の撤廃という施策へと転換されることを期待したい。