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コラム | 2020年10月29日
「松井さん、吉村さん。これはもう最後にすべきですよ」「大阪市民がふたつに分断される現実・・・もう限界ですよ」。
11月1日の住民投票の投票日まで本当に残すところあとわずかとなった。反対が猛追で、賛否が拮抗という文字が新聞を躍っている。いずれにせよ僅差の争いであることは事実のようだ。“51対49”で51が勝利するのが住民投票だ。
しかし、こんな大事なことをほとんどの市民が納得を経て結論が出るわけではない。ほぼ半数の市民の声が反映されないまま答えがどちらかに決まってしまう。本当に統治機構そのものの大変革が、これほどの拮抗した闘いで結論づけて良いのだろうか。こうした問題は、対立の議論ではなく、丁寧な合意への努力を重ね結論にたどり着くべき政策論議ではないだろうか。
そう言えば、維新のメンバーは、「5年もかけて丁寧に論議を積み重ねてきた」と反論されるだろうが、法定協の運営が果たして丁寧で議論を尽くしてきたのかは、はなはだ疑問が残るのではないだろうか。
最終の最後に、市財政局が大阪市を4つの自治体に分割した場合のコスト増を218億円と試算した数字が発表されたが、そもそも法定協では自民党や共産党が再三試算を公表すべきであると求めていたにもかかわらず発表されなかった事などを考慮しても“丁寧な努力の積み重ね”とは、ほど遠いものであったことが理解できよう。
つまり、大阪市を廃止して4つの特別区に再編するという大改革論議は、一種の冒険であり、地方自治のありようを問う挑戦でもある。だからこそ市民合意は重要なエネルギーであり、改革のための起爆剤の役割を担うものである。それが、反対、賛成が拮抗しているという現実は、納得いく合意形成とは言えるものではなく、将来に禍根を残すこととなる。
しかし、維新側にしてみれば、知事も大阪市長も維新公認の人間が選出され、しかも府議会においても大阪市議会も第一党であり、多くの有権者の信任は得ていると反論されるだろう。こうした政治地図にするために維新としては最大限の力を選挙に集中してきた成果の表れであるとも主張されるだろう。その通りで、橋下さんが登場以降、十数年にわたり大阪の政治地図は「大阪維新の会」の常勝という道をたどった。
わが方もどれほどの辛苦をなめてきたか。維新の政治勢力の台頭という現実を前に、多くの組織や団体、それに連なる補助制度やあらゆる予算が廃止・縮小されてきた。“公平”や“効率”という誰もが反対しがたい言葉で、無駄を省くコストカットとして福祉や人権、教育などの予算が大幅に縮小されてきた。その集大成が、「大阪維新の会」が言う“都構想”であり、都にはならない大阪市廃止分割制度として争われることとなったのである。
本当に維新側の一丁目一番地が「都構想」なのであろうか。わたしは、大阪市の持つ政令指定都市という強みを活かしながら、しかし二アイズベターとして区に権限と財源をもっと与えるためにも区長を選挙で選ぶ公選制と、現在の大阪市24区を6区〜7区程度に統合し、総合区として再編させるという“市構想”でも充分維新側の主張を現実化させる政策ではなかったのかといまも思っているひとりである。
都構想というアドバルーンをあげながらも実際は、総合区に再編する「市構想」をひとつの落としどころとして、政党間での協議が水面下で進められたのではないかと思っている。しかし、現実は、維新が大阪のあらゆる選挙で勝ち続けた事への一種の驕りと、“振り上げた拳”の持って行きようとして、住民投票にまで突き進んで行かざるを得なかったのではないかとの推測は言いすぎであろうか。
西成のゆ〜とあいで開催された「大阪市解体反対集会」で、わたしは、「対立と分断の住民投票に反対に投票して過半数を実現させ廃止にさせ、そのあかつきにはあらためて大阪市の改革、統治機構そのもののありようをゆっくり丁寧に議論していきたい」「そのためにも今回は反対で、大阪市廃止と4つの特別区議論に終止符を打とう」と訴えさせてもらった。横に弁士で参加されていた柳本顕さんも、うなずいてくれていたようにわたしは思う。
テレビ、新聞ではアメリカ大統領選挙が報じられている。テレビ討論会などでは、トランプ氏が、白人至上主義の極右ネオナチ組織に向けて、「下がって待機せよ」と訴えている。銃を持って武装した集団が投票所周辺で投票に来た人への威嚇行為が過激さを増してきていると報道されている。
松井さん。吉村さん。白か、黒か、○か、×かではなく、時間をかけてでも合意を形成していく成熟した民主主義の過程をたどるべきではないだろうか。あらためて訴える。今回は「反対」でこの都構想案は葬られるべきだ。