Vol.182 あらためてリバティおおさかの存在意義を考える

5月31日をもって現在の大阪市浪速区での大阪人権博物館(リバティおおさか)は休館となり、2022年水平社100年の年をメドに新たな場所での再スタートをめざすこととなった。

「維新政治への敗北」「和解ではなく裁判闘争を最後まで展開すべし」「悔しい」「情けない」といった意見がメールや感想として多数あげられたことも、これからの再スタートの糧にしたいと思っている。大阪地裁による和解の内容やリバティおおさか35年の歴史については、さまざまなところで述べられているので、ここでは省略するが、では再スタートにあたって、部落解放運動をとりくむものとして“その気概”を幾つかの視点で述べてみたい。

まず第1点は、“油断”と“甘さ”への反省だ。それは、裁判の中身やこの間の補助金カットなどの一連の闘いを総括して言っているのではない。長きにわたりリバティおおさかの運営費そのものを行政の補助金に9割程度も依存していた体質を改善できなかったという反省からだ。未来永劫行政からの補助金が続くとは誰も思っていなかったと思う。しかし、誰も指摘してこなかった。改善も収益事業も皆無のまま、公的施設としての役割ばかりが先行し、民間的な運営形態の検討や手法は、後に回されてきた。その油断が市場原理を優先し、公から民へという小さな政府論を唱えた大阪維新の政治の登場によって、公的資金の大幅なカットという現実がわれわれの前に覆い被さってきたのである。

博物館運営というものは、自主独立型で運営できる施設など皆無に等しい現状だろう。しかし、いつまでも行政丸抱えのリバティおおさかであり続けるだろうという甘い目測が運動側になかったのかと言えば・・・反省しきりである。

自主運営とまでは行かないまでも予算額の5割程度は、自分たちで運営費をつくり出すような努力と知恵がわれわれに欠けていたことを猛省したい。

第2点は、これからの公的支援のありようをわが方から提案するぐらいの“覚悟”と”責任”を気概を持って貫きたいと言うことだ。

つまり、これからの博物館運営という現実を考えたならば、公的な支援をどのように現実化させていくのか。松井大阪市長は、記者会見で「人権について啓発するのは否定しない。市民が納得する展示内容だったら支援したい」と答えている。では、市民の半数から理解されれば支援されるような博物館なのか。支持率3割でマルなのか。しかも支援はどの程度の金額なのか。それこそコロナ禍からの新たな社会のありようを見た時、いのちと生活を守るための行政的役割の転換がポストコロナ時代として求められている時、公的側面の強い博物館の“公”とは、一体どの程度の範囲を言うのか。われわれ側から提案し、世論を喚起させ市民合意を得るよう努力したい。

第3点は、この大阪の地に再スタートさせる“人権に関する総合博物館”の“社会的役割”とあらためての“存在意義”を確認したいと思っている。リバティおおさかは、ご承知の通り、大阪人権歴史資料館としてスタートしている。それは部落問題を中心とした歴史資料の常設展示などからスタートし、ここから公益性と公共性を発揮する公益財団法人への移行、つまり、“人権に関する総合博物館”という道をたどっている。部落問題から人権全般へ、この転換が文字通り内外はもとより、展示内容も含め多くのひとのコンセンサスを得るまでに理解されたのか、総括すべき時でもある。もっと言えば、社会的マイノリティ博物館という打ち出し方をしていれば、「人権問題は明るいだけの問題ではない」と当時の橋下大阪市長との会話も成立したのかもしれない。「人権は、すべての人々」の課題と銘打てば、明るい問題か暗い問題か。歴史的経過か、未来型志向か、の答えは自ずと明快でもある。ここを曖昧にしてきたリバティおおさかの戦略が明確でなかったことが、見直しを迫られた本質ではないだろうか。

再スタートを誓ったリバティおおさかの基本理念を再確認する意味においても、大阪の地にこだわる社会的役割と存在の意義を創りあげる必要がある。

浪速の地に存在したリバティおおさか35年の歴史は一度ここで幕を閉じることとなった。あらためて社会的マイノリティの存在を世に問うという視点で、新たなリバティおおさかが歴史的使命をもってリニューアルしたいと思っている。わが同盟もその使命を自覚し、公的役割とは何か。社会的マイノリティの差別を啓発するとはどういう事か。などを明らかにしながらその責任を果たしたい。