Vol.161 維新一強の打破へリベラル地域政党の立ち上げを

“この蚊帳の外感覚はなに?”-社会の一員として認められていないほどの疎外感はどこから来るのだろうか?

4月の統一自治体選挙とこの7月に実施された参議院選挙結果のことだ。

驚くほどにひどい低投票率。自公で改選前の過半数を確保したとはいえ、自民党の今回改選数は66であったのが、当選数は57で、9議席減らしていることになる。定数が全体で3議席増えていることを思えばそれ以上の後退と言える結果であり、自民党勝利が眉唾物(まゆつばもの)であることがうかがえる。

そんなことより、大阪における立憲民主党の危機的状況だ。いやいや立憲だけではなく、国民民主党も同じくだ。つまり、大阪におけるリベラルという勢力の弱体化という危機意識をどう見るかである。

逆のことをいえば、なぜ大阪維新があれほど強いのかという問題でもある。大阪選挙区でふたりの候補を擁立した維新は、140万票に迫ろうかという得票を獲得しての圧勝となった。あの民主党が強かった時代においてもふたりを擁立しても1名しか当選させることができなかったのだ。それがこの間の2回の参議院選挙において、いずれもふたりの候補が圧勝するという維新旋風は、まさに大阪を席巻していると言っても過言ではないだろう。

安倍さんは、演説の中で、再三再四「悪夢のような民主党政権」と表現する。頭から相手を全否定したようなレッテル貼りの演説だ。また、わかりきったように空々しく枝野代表の立憲民主党に対して、
「枝野(幸男)さん、民主党の。あれっ、民主党じゃなくて今、立憲民主党ですね。どんどん変わるから覚えられない…」と参院選の応援演説で「立憲民主党」を「民主党」と繰り返し言い間違えるという挑発ともとれる演説を繰り返し行っている。

仮にも一国の首相たる人物が、挑発的な演説を繰り返し公党の党名を意識的に揶揄するといった演説が大きく批判されることもなく、結果は、自民党に安定多数をもたらすという選挙結果を見ても、立憲民主党が議席を多少なりとも増やしたといえども・・・まだまだ大阪では維新への追い風と自民党の堅調な支持など、立憲には逆風であることに変わりはない。

大阪という独特の政治状況の中で、立憲民主党が埋没することなく、キラリと光る存在として位置付くためには、どのような改革の道が模索されなければならないのか、応援するひとりとして責任を果たしたいと思っている。そこで、大胆かもしれないが、ひとつのわたしなりの私案を述べてみたい。

常識を逸脱したような提案で恐縮だが、大阪維新の会の持つ中身は別として見直し・改革という有権者が持っているイメージは、やはり地域政党的な強みが背景にあるからではないかと思っている。

国政政党の日本維新の会が存在しているとは言え、大阪では維新の会といえば、大阪維新の会をイメージするように地域政党的色合いが濃いという強みが存在していると思えるのである。

つまり、大胆に言うと大阪における立憲民主党という政党は、国会議員のみで構成し、地方議員は地域政党を立ち上げ、そこの所属とする。地域政党○○は、大阪都構想への対案やカジノへの対応、万博開催への問題提起など、大阪ローカルな具体的な課題に対する政策をマニフェスト化させ、社会運動や労働運動からの提案を検証し、政治的立案を実現するために奮闘する政治集団のことである。

連合が掲げる「働くことを軸とする安心社会」実現のための社会的セーフティネットのあり方という政策や、自治労などが提唱している「誰もが直面しうる生活上の困難」と「社会・地域を持続可能にする基礎的な条件」という誰もが持つ共通の課題を「コモン・ニーズ」と表現しており、この「コモン・ニーズ」実現のための「頼り合える社会」の創造に向けた政策研究に取り組む政治集団という地域政党を興すという構想を、まずは部落出身議員団である「荊政会」からスタートさせてみたいと個人的には思っている。

そして、地域政党構想は、国政政党との衝突を避けることはもとより、国政選挙の際には、きちんとした政策協定を立憲民主党などと交わし、その勝利に全力を尽くすというスタイルを確立させることが、国と地域を同列に見た政治のありようではないだろうか。

現在の政治の混迷は、自民党をはじめとする与党政治の責任という捉え方を転換させ、野党の混迷が日本の政治の混迷にあるんだという発想で、野党が変われば日本も政治も変わるという大胆な発想を政党改革に取り入れてみてはどうかという提案である。一笑に付してもらっても構わないが、真面目に追求してみる価値はあるのではないだろうか。