Vol.300 言葉の選び方で運動は変わる 北九州・抱樸の活動に学ぶ

言葉のチカラにあらためて感心させられた。
わたしたちは、生活保護世帯が2世代、3世代と引き継がれていったり、親の子どもへの虐待やネグレクトなども世代が引き継がれていく事を悲観した言い方として、「差別の連鎖」と表現したり、「繰り返される負の連鎖」と説明してきた。きわめてネガティブな物言いであり、後ろ向きな言葉としてわたしも強調してきたひとりである。

その表現内容に対して、背後からハンマーで叩かれたような衝撃を受けることとなった。
それは5月13日に府連としてお邪魔した北九州市の抱樸(ほうぼく)の奥田知志代表以下、抱樸のメンバーの発言からだ。わたしたちが理解してきた親から子への虐待やネグレクトが、その子どもが親になり、またそれが繰り返されるという実態を“負の連鎖”と説明し、その負の連鎖を断ち切るために、「がんばれ」「努力しよう」「地域も応援するから」と声をかけ続けることが、負の連鎖を断ち切る唯一の道だと支援体制を地域で築きあげてきた支部も多いだろう。

それを負の連鎖や差別の累積継承という捉え方ではなく、社会的相続と捉え、親が子どもに食事を与えない、殴る蹴る、もしくは育児放棄、ゴミ屋敷状態という課題は、その次の代に相続されていくという社会的課題だとの説明を受けた。社会的課題の相続である限りは、個人でその負の遺産を相続するのではなく、社会的な共有課題として相続していこうという考え方であり、個人的な相続放棄でもない。税金を納めて良いところだけ自分取りするというものでもない。また、悪い部分を引き受ける継承型の相続でもない。新たな選択肢の登場だ。

「相続の社会化」という捉え方だ。つまりは、親でなくても地域で社会的相続をつくりあげる、そのための仕組みを創造しようという提案だ。相続を社会的に受け入れ、“伴走型相続支援”という地域全体でよってたかって相続を受け入れるという仕組みが創り出せないかというチャレンジだと気付かされた。

「ネグレクト」や「虐待」。“食事を与えない”“殴る蹴る”“ゴミ屋敷状態”などを経験した子どもたちは、親になったとき同様のことをしてしまうと言う“負の連鎖”を、個人やその家庭に解決の方途を見出すのではなく、社会的に相続された課題だと捉え、地域社会で解決すべきだと抱樸のメンバーは熱く語る。

しかし、よくよく考えれば、ひとつの言葉を「負の連鎖」という言い方から「相続の社会化」と言い換えただけで、ネガティブな課題がポジティブに変化した。つまりは、少し勇ましい運動的用語を前向きな優しい言葉に置き換えるだけで、それこそ言葉が社会化され、活動家だけに通じる合い言葉が、地域社会のすべての構成員に理解される言葉に変貌を遂げるとは愉快なものだ。

わたしたちが唱えた「人権文化センター」も「地域人権交流センター」も抱樸のメンバーにかかれば、“希望のまち”という言葉にバージョンアップされてしまう。”決してひとりにしない”という抱樸の設立理念は、社会的な地域課題を相続として受け止め、その課題を社会化する。そして、それを希望のまちへと創りあげていこうという壮大なロマンがそこには横たわっている。

センターではなく、“まち”と呼ぶ。
決して施設という建物の中身の議論ではなく、建物を通じた市民社会のありようが問われている問題であり、施設を真ん中に置いた周辺のまちそのものをターゲットにしたプロジェクトが作動しようとしている。それが、希望のまちプロジェクトだ。

暴力団の組事務所跡地というそれこそ「怖いまち」を180度転換させた「希望のまち」に抱樸のチャレンジは続く。

わたしたちもそろそろ解放運動家、活動家という裃(かみしも)を脱ぎ捨てて、誰しもが理解でき、共感できる言葉に変貌を遂げる必要があるのではないだろうか。
変貌を遂げる−この言葉こそ活動家の言葉のようだ。ここは、一皮むけるにしておこう(笑)。
解放運動や人権運動のバージョンアップを、まずは言葉選びからスタートしようではないか。