「着陸を教わっていない」。特攻に出撃する若きパイロットの一言である。
コラム | 2026年3月27日
コラム | 2026年3月27日
「着陸を教わっていない」。特攻に出撃する若きパイロットの一言である。
1981年に公開され、私が19歳の時に見た映画『連合艦隊』での一コマが思い出された。出撃を前にした若きパイロットが、教官に対し「自分は敵艦への突入の仕方は教わりましたが、着陸の仕方はまだ教わっていません」というセリフで、特攻隊員として散っていく若者たちの悲劇が描かれている作品である。
この場面を思い出したのは「神風ドローン」という言葉を最近耳にしたからだ。「神風ドローン」とは、言うまでもなく標的を見つけると自ら突っ込んで爆破する自爆型無人機のことを指しており、ウクライナ侵攻などでロシア軍が多用したことから名付けられ、旧日本軍の神風特攻隊にちなんでそう呼ばれている。低コストで精度が高く現代の戦争で注目されている兵器である。アメリカとイスラエルによるイランとの戦闘においても多用されているのが、イランによる“神風ドローン”攻撃である。
80年が経過し、ひとが爆弾となって命を賭して相手型に対して突っ込んで自爆していくという悲劇が、現代では、離れたところからコントローラーを操る若き兵士が、ドローンを操作し、無人機が標的に突入していくという姿に変貌した。
若き兵士が、命を落とさないで、相手側にダメージを与えるという“変な安堵感”を感じるのだが、戦争に変わりなく、爆撃された側には被害が出るし、多くの死者や負傷者が出ていることには変わりはない。
若い命が、どれほど犠牲になっていったのか、時代は逆転できないが、80年前に“ドローン”があれば、若いひとたちの命がどれほど守られたのか。子どもたちが、テレビ画面の前でスイッチやPS5のコントローラーを操縦している姿とほとんど変わりなく、“神風ドローン”が操縦され、相手国の軍事関連施設を爆撃し、大きな被害をもたらしている事実を見たとき実に滑稽に思えてならない。
ひとの命とは、一体何なのか・・・「着陸の仕方を知らない」と言って、多くの若者が、爆弾と化し、戦死を遂げていく。それが現代では、遠く離れたところからゲーム感覚的なコントローラーを用いて操縦することで、“神風ドローン”が標的めがけて突っ込んでいく。80年という歳月は、こうもひとの命を大きく乖離するという現実をつくりあげた。そうした犠牲があって、人類の進歩や科学技術の発展、生成AIの登場などがあって、現代の戦争があると頭では理解できても特攻隊員として犠牲になっていったひとたちとのあまりにも大きなギャップに戸惑いを感じ得ずにはいられない。
特攻隊員の遺書が、靖国神社や特攻平和会館に飾られている。「一番心残りに思うのは、、、恥ずかしいから書きません。いや、やっぱり、つまり、お母さんのそばにいてですね、もっと色々喜ばしたり厄介をかけたりしたかった。こんな事を書くといつになったら大人になるのかと我ながらちとくすぐったいですが・・・」と綴られていた。
平和を希求することになんらの変わりは無い。ドローンであろうが、無人機であろうが、子どもが犠牲になり、女性やお年寄りの悲劇が毎日のように映し出される現実に胸が痛み、一日も早い平和が訪れる事を期待したい。
アメリカ・ロサンゼルスの州裁判所でインスタグラムやユーチューブなどの設計そのものが、利用者にとっては中毒性が高く、製作したSNS会社メタ・グーグルの企業側に責任があるとする賠償命令判決が出された。未成年者らのSNS依存は、設計自体に問題があるとの不備が問われ、脳の発育途上にある未成年の利用をめぐって、アルゴリズムの“中毒性”が問題視され、それを製作した企業側に責任があるとする画期的な評決が下されたことになる。
いよいよバーチャルリアリティー(仮想現実)というゲームの世界が、まるで現実かのように体験できる時代−VR時代が到来している。戦争や対立、分断の時代の殺戮兵器が、まさにバーチャルなゲーム機の延長線上といったところにまで迫っている事を意味している。SNS社会の未来が、SNSの中毒性による対立と分断を深める社会にしてはならない。