中央本部で、役員がそれぞれ分担して、各県連を訪問している。 目的は
コラム | 2025年11月25日
コラム | 2025年11月25日
中央本部で、役員がそれぞれ分担して、各県連を訪問している。
目的は、「全国部落調査」復刻版出版事件(以下「復刻版裁判」という)において、①差別されない権利が憲法に由来する権利として認められたこと、②全国の被差別部落の地名リストの出版禁止とインターネット上でのばらまき禁止(差止め)が認められたこと、③ほぼすべての原告に損害賠償が認められたこと、など大きな成果を勝ち取ったが、その一方で、出版禁止の差止めの範囲が31都府県に限定されており、全国41都府県に所在すると明記された「全国部落調査」リストからすると10の県においては、差止めを認めないという結論となっていることが課題として浮上してきている。
つまり、31都府県に該当するリストはネット上や出版そのものは禁止との対応とはなるが、差止め範囲から除外された10の県については、その対象にあらずというなんともお粗末な結果となっていることから除外された10県について新たな裁判闘争への参加を呼びかけるための各県連訪問である。
わたしもいくつかの県連を訪問させてもらい「復刻版裁判」の経過を説明し、高裁判決が踏み込んだ「差別されない権利」について画期的な判決であるとの説明をさせてもらってはいるものの“自分の部落はそこから外されているんだろう”といった感想や、“この部落は裁判から外れた部落としてネット上で取り上げられるのか”といった心配が寄せられている。
そうならないためにも本部に協力して、裁判を闘おうと呼びかけ、多くの県連がそれに協力しようという輪が広がりをみせ、いよいよ12月に新たな裁判に突入するという時期を迎えようとしている。
しかし、訪問してみてわかってきたが、裁判として訴える原告になるには、きわめて“異例ともいうべき変な理屈”があることを発見した。それは、原型となった昭和11年(1936年)に作成された「全国部落調査」では、部落所在地、部落名、戸数、人口、主業/副業、生活程度などと分類されており、それを現在地の地名に呼びなおして掲載されている。しかも現在地の地名も不確実で不完全な内容となっている。その現在地に本籍や現住所を置く者のみが、原告に該当するという裁判の仕組みになっているのだ。
つまり、昭和10年あたりから融和事業協会や当該の行政機関、融和団体などとの聞き取りの中で、“このあたりが被差別部落にあたる”“この道から東側が被差別地域”といったまさに不完全な調査結果に基づいた復刻版に該当するか、しないかが原告として裁判に訴えることかが、できるかどうかの資格条件となっているというまさに変な理屈がつきまとっているというのである。
ある県連の委員長は、「自分の生まれは、他の県の被差別地域であり、さまざまな事情があって、今の在所(被差別部落)にうつり住んでもう何十年にもなる」と語ってくれた。しかし、現在住んでいる被差別部落は、この“復刻版”には存在しないため、委員長自身が裁判に打って出るということが出来ないのだ。
“復刻版”に記載されている被差別部落の地域のみが差別される対象ではない事は言うまでもない。この大阪においても部落の所在地数が43地区となっており、“復刻版”から除外されている部落も存在しているし、ましてや被差別部落でも無いところが、復刻版では部落だと限定されているなど問題点も多い。
1975年に発覚した「部落地名総鑑」でも10種類もの「地名総鑑」が確認されているが、そのどれもが、全国被差別地域すべてが一致しているわけでもない。歴史的経過の中で、被差別部落の地域一帯が、集団で移転させられたケースや行政の都合で、被差別部落住民が、集団移住されられるなど、部落そのものの移転や移住は少なくない。つまりは、部落は変化し、差別される対象は、その時代を背景にして変遷しているという事実を見ておく必要がある。
しかし、裁判は、訴える原告がその“復刻版”のもともと記載されていた部落所在地か、現在地に本籍か住民票を置いているかが、原告適格だと認定するというのだ。「ここが被差別部落の地域である」、もしくは、「この地域名が昔からの部落だ」とそもそも不確定で曖昧な“復刻版”に該当しなければ原告として訴えられないというきわめて理不尽な裁判だということを知ってもらいたいと思う。
「原告らは本件地域情報全体の削除や公表の禁止を求めるが、個人の人格的な利益に基づく請求である以上、上記の範囲を超えてこれを認めることはできない」というのが、東京高裁判決である。個人の人格的な利益は訴えた原告だけに存在するという考え方である。裁判とはそういうものかも知れない。個人ではなく、部落差別そのものが人格的な利益を損なうものであるという法的解釈こそが必要なようである。