Vol.308 小異を「存し」大同求める政治を

「チーム小泉+維新の会」なのか、「高市軍団+参政党」なのか。それともまったく違う第3の道か・・・新たな自民党総裁選が事実上のスタートを切った。

しかし、石破さんにそれなりに期待していたのに、結局は50日駄々をこねていただけで、自民党“全体の圧”に屈してしまい、自民党総裁と首相の座を退くこととなった。

比較的リベラルといわれる面々は、旧安倍派を中心とする守旧派との対決に臆することなく挑み、“選択的夫婦別姓”の問題や、大正時代からその建付けが変わることなく、今日まで放置され続けた“再審法の改正”という歴代首相が手をつけてこなかった法案への着手に期待し、さらには、“国内人権機関の設立”などへの道筋をつける首相として一定の役割を果たすのではないかとの期待を寄せていたが、石破首相は、「党内融和」という美名の元に屈することとなった。

なにも解決の糸口をさぐることなく、しかも自民党総裁選は、フルスペックの1ヶ月間を有する闘いに突入するという、まさに国民不在の総裁選に突入するという政治空白が生まれることとなった。

しかも総裁選立候補予定の候補は、ほぼ1年前のメンバーの顔ぶれがそのまま横並びになると予想されており、またぞろ同じ顔による同じ政策での闘いが始まろうとしており、政治の閉塞的な感覚は、ますます有権者に政治不信を広める一方である。

ここに来て肩の荷が下りたのか、石破さんが80年談話をまとめたいとのマスコミ報道だ。

あと10年経過すれば、戦後から90年を迎え、いよいよ戦争体験者がほとんど存命していないという時代が到来する。今年が、逆に言えば本当の意味での「戦争を知る人が残っている最後の節目の年」といっていい意義ある年でもある。この節目ともいうべき年にたまたまであろうが、偶然であろうが、石破さんが首相を務めているという絶好の機会に戦後80年談話を公表することの意義は大きい。

70年談話で当時の安倍首相は、「『植民地支配』『侵略』という言葉を使いながらもその責任が日本国にあるという文言は明記せず、さらには、「子や孫、その先の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせない」という“謝罪終了宣言”にまで踏み込み、その後の首相会見では「もう『談話』は不要」との発言が繰り返されている。

この70年談話のアンチとして石破戦後80年談話がとりまとめられることを大いに期待したい。辞めていく首相の談話など、無意味だとの意見がSNS上で騒ぎ立てられているが、間違いなく現職首相の談話であり、自民党守旧派との対立の激化によって、自民党総裁と首相という座を退くこととなったが、ここはもう腹を据えて最後の大仕事だけでも仕上げてもらいたいと思っている。

石破さんが退いたあとの連立政権の枠組みについて、押したり引いたりの駆け引きが永田町を中心にはじまりだした。

「国民民主か、維新の会か」、どちらを連立政権の枠内に引っ張り込み自民、公明ともうひとつの政党による連立政権構想を軸に明日の内閣が展望されている。立憲民主党も野田代表が、「わたしに投票を」と呼びかけ、野党による首班指名の一本化を目論んでいる。

どこの政党とどの政党が組むのかという足し算、引き算の政治を有権者や市民が求めているのではない。だから自民の内紛にいらだちを覚え、しかも総裁決定までに1ヶ月を有するという事態に市民は辟易(へきえき)しているのだ。

ここは、4年後や5年後を一定の目標に据えたマニフェスト−政権公約を各政党で論議し、ある程度妥協しながらでも“小異を存して大同を求める”という姿勢を有権者や市民に示すことで、政治への関心を高め、連立の枠組みが支持される政権の誕生ということに繋がるのではないだろうか。

「小異を捨て大同につく」という考えではなく、「存して」と解釈し、異なるところがあっていいのだと考えてはどうか。つまりは、視点を小さな正義ではなく、大きな正義と大義へと向けることで、小さな正義の違いを残したまま、大きな正義を実現するという政治の道を歩むべきではないだろうか。そうすると自民党みたいに懐の深い、右寄りの考えから左寄りの考えのひとたちが集まった政党という枠組みは変化し、同じ主張で一致するミニ政党がつぎつぎと現れる多党化時代へと変遷していくのではないだろうか。