Vol.307 情プラ法が本格始動 自主的規制の限界も

「自分に降りかかる差別や人権侵害は、自分の責任で対処すべき事なのであろうか?」
社会がこうした被害に対して警告を発したり、被害者を保護したり、加害者が特定されるのであれば、一定の法的罰則をともなう法律が存在しても良いのではないだろうか。

この発想こそが国内人権機関の整備やその発展に“包括的差別禁止の法制定”というわたしたちの目標が展望されていると言っても過言ではない。この過程をたどる段階で、SNS上における人権侵害に対して、あまりにも法の不備が存在し、あいつぐ誹謗中傷や人権侵害、被差別部落に対するアウティングなどが、止まるところを知らない勢いで増加の一途をたどってきた。残念なことにSNS上における誹謗中傷によって、命を絶つという深刻な事態にまで発展し、法的な強化を求める声が日増しに増えていったことも言うまでもない事実である。

こうした経過が、昨年4月に「情報流通プラットフォーム対処法(以下、情プラ法という)」として成立し、今年から施行されるという運びとなった。大手プラットフォーマーとして総務省から指定を受けた業者9社が順次権利侵害に対する法的義務を整え、対応を開始するという運びとなっていくようである。

しかし、それほどSNSに精通していないユーザのひとりであるわたしが、人権侵害に対してネット上での削除申請を試みたが、正直4回ほどのクリックで、削除のページにたどり着くこととはなったが、これをひとりひとりの個人が申請するというには、そうとう大きな壁が存在しており、大量の削除申請が大手プラットフォーマーに短期間で集中するとは考えにくい。

確かに従来の外資系大手プラットフォーマーへの削除要請や人権侵害に繋がる投稿の停止などについては、ほとんど説明がなく、冷たい対応に終始していた現状からすれば、情プラ法の成立によって、簡素化され、さらには削除指針とも言うべきガイドラインが公表されたり、法の義務に伴い侵害情報専門員の配置が義務づけられていることや、削除申請を受けて一週間をメドにプラットフォーマーの決定がユーザーに回答されるという義務規定など、“情プラ法”は一定の効果を上げる可能性を大いに持つ法律であると言えるだろう。

だからといって、差別や人権侵害がネット上から葬り去られるという訳ではない。
冒頭、“自分の責任で対処すべき事なのか”との問題提起は、ネット上での個人に対する誹謗中傷や差別投稿などに対して、個人の責任で削除要請しなければネット上から消すことのできないという仕組みそのものが、“これでいいのか”との疑問を投げかけたいのだ。確信的に差別をネット上で増大させる一部の加害者に対しては、書き込んだ時点で即座に差別投稿と判定され、発信されなくなるという手法−“サイトブロッキング(特定のウェブサイトへのアクセスを遮断する措置のこと)”によって、通信そのものを阻止してしまうという人権侵害情報の流布を根底から遮断してしまうと言う情プラ法の改正にまで高めることが出来るかどうかが今後の課題のようだ。

やはりここは、手間であり、時間の有することではあるが、個人ユーザによる大手プラットフォーマーに対する削除申請に積極的にとりくみ、削除の実績を積み上げることによって、「同和地区の摘示情報そのものがネット上からアウト」となるよう情プラ法の積極的活用を積み上げていく以外に方法がないようである。
  
部落の出身であるという理由で、結婚に反対されたり、部落の者はこの会社では雇わないといった露骨な部落差別に対して、当事者として抗議の異を唱え、加害者への反省と会社へは人権研修の必要性などを説いて社会変革につなげていったように、一歩一歩ではあるが、ネット上の人権侵害に対して、わたしたちは声を上げ、制定にまでようやくこぎ着けた“情プラ法”を積極的に活用し、部落差別の現実を積み上げていくほか方法がない。

果たしてGoogle などの巨大大手プラットフォーマーによる自主的な削除規制だけで、ネット上に溢れる人権侵害が淘汰されるとも思わない。しかも巨大企業とはいえ一民間企業である。それが、当該企業の判断で、「これは差別」「これは差別に当たらない」と決定されること事態が言論の自由を侵すことになりかねない行為とも言える。やはり国内人権機関の確立につなげていく以外に方法はないようである。