Vol.302 「再審法改正」「選択的夫婦別姓」 立法府の責任はどこに

この原稿の執筆日は6月16日だ。
ほぼ国会もお尻が浮き始めており、終盤国会も淡々と閉会を迎えそうな空気感である。
参議院選挙が7月20日投開票が決定したこともあり、永田町は、選挙へまっしぐらと言う状況のようである。

わたしたちは、今国会がスタートする時点で、立憲民主党を中心とする野党に対して、4つの問題提起をおこなってきた。ひとつは、「再審法」の改正である。昨年から超党派による国会議員連盟が発足され、議連で法案をまとめようとの努力が積み重ねられ、わたしたちもそれを応援するように国会内はもとより、各地方議会における決議や意見書の採択など、今国会での「再審法」改正を求めた。

ふたつめには、「選択的夫婦別姓」の法案成立である。婚姻の段階で、男性側の氏を名乗るのか、女性側の氏にするのか、それとも夫婦別姓とするのか・・・と言ったあくまで“選択”を主とした法案である。どちらの一方の性を押しつけるのではなく、あくまで選択できるという法改正である。この法案の成立をわたしたちは求めた。

みっつめは、「情報流通プラットフォーム対処法」の即時具体化というか、法の速やかな効力開始を求めた。よっつめは、日本における国内人権機関の成立に向け、具体的な超党派による与野党協議を今国会で立上げるための協議機関にたどり着くことが出来ないか、という4点を要望してきたところである。

しかし、勝敗は3敗1分けというところか。阪神の6連敗よりはまだマシかと思うが・・・結局は、少数与党で野党の思うがままの進行が今国会で実現するだろう。「再審法」の改正も「選択的夫婦別姓」法案も野党がまとまり、自民を追い詰めれば、成立は時間の問題だと思った方々も多いことだろう。答えは、まったくの逆で自民党の老練な手法で、一党一党逆オルグされ、野党案の一本化はどこ吹く風。結局は、各党の主張を国会で繰り返しただけで、法律制定という本気度は棚上げされたまま、独自色を吹かすだけで、野党一本化は実現することなく、今国会は終盤を迎えている。

与野党388人が名を連ねる「再審法」改正を求める議連が存在しながら国会での法案成立に目途が立たないとはどういう事か。最後は、重要法案のため法務省の諮問機関である法制審議会の議論に委ねるべきで、拙速な議員立法では効果が薄いという反対論が急浮上してきた。そもそも法の建付けは大正時代から変わることなく、続いた課題の多い法律である。それを専門家に委ねて国会議員は、それを待ち続けるというのである。

どこに立法府の責任があり、重要政策の決定に躊躇(ちゅうちょ)する国民の代表がいるのだろうか。再審請求審での証拠開示を義務化することと、検察による不服申し立てを禁止するという大きな2つが盛り込まれた法改正案である。この2点だけでも議員立法で改正しておき、細かい点については、法制審に委ねるという方法も立法府として判断できる最低限の仕事だと言えるだろう。

「選択的夫婦別姓」の法案については、無理せず“通称”使用を拡大し、生活していく上で困らないようにすれば良いのではないかと与党自民党が言い出せば、一部野党もそれに同調すると言い出した。 

 「通称使用」の拡大解釈で、日常生活に不平等がなければ、別に夫婦別姓にしないでも“子ども”にも迷惑がかからないからと言う理由からだ。結婚にともない名字を変えるのは圧倒的に女性であり、その明確な理由は、「女性が変える理由は慣習以外にない」という女性差別の問題なのである。女性の一生涯にわたって「静かに自分を否定され続けている疎外感」という人権問題が、選択的夫婦別姓法案の提案理由であり、男性の名字を名乗ったからと言って、生活に支障はありませんから・・・仕事も旧姓のまま続けて下さいでは、この法案の反対理由にはならない。

女性当事者は、わたしたちの権利の問題でせめてどちらでも選択できるようにして欲しいという個人の尊厳が問われる問題なのである。「95%の夫婦が夫の性を選ぶ」だから無理せず、残り5%のひとは、通称使用の拡大で私生活に支障がないようにしますからと言うのが、国会の選択で良いのか。「家族の一体感」や「伝統的男子男系社会の秩序維持」という時代遅れの潮流に女性の人権が侵害されようとしている。もう一回「差別」で切り込む解放同盟の出番のようである。